搭乗型ロボットの意義とは何か
『輪廻のラグランジェ』3話見応えがあった。日産デザインとか目新しさを売りにしてるがロボットの描き方は王道ロボットもので嬉しくなる。
3話と最近の『ガンダムAGE』を見ていて、ロボットものの演出について思ったことがある。
ラグランジェ3話のバク転しながら移動するミドリやAGE15話のビグザムもどきと切り結ぶガンダムのように、カメラ位置を固定して、画面は動かさずにロボットを動かす演出が私は大好きだ。なぜそう思うかと考えてみると、単純に絵的に躍動感があるし、客観的に移動距離も感じられるので位置関係が把握しやすく戦場の空間の広がりを感じられることで没入感が増すというのはあると思う。だけど自分が好きな理由はキャラの主体性が感じられるからだと思う。
たとえば敵に向かって斬りかかるシーンでもカメラ=視点を動かして撮ると自分から動いているのか、何かに迫られて動いているのか、ぶれて見えてしまい弱い。画面を固定すると客観的になって、その中で動く主体がより乗り手の意思を感じさせてくれる。
AGEがUEはかっこよく見えて、味方側は勝っててもぱっとしないように見えるのはそのせいかな。ガフランは能動的に戦場を駆け巡って戦うのに、地球側はガンダムでさえ、襲ってくるから倒してる感じで受動的に見える。口では復讐を語るフリットとこの演出は相性が悪い。
もう一つ思ったことは戦闘の流れの中での攻守の切り替え方。
『敵の猛攻→押される主人公→あるきっかけを境に主人公のターンに。』という流れは主人公が強く、かっこよく見えるのでよく使われる定番のパターンだ。AGEも基本的にこの流れなんだけど、いまいち盛り上がらない。というのも感情が入ってないからだ。ロボットものでは戦闘の攻勢、守勢だけでなくキャラの感情面でも流れを切り替えないと面白くない。
直接搭乗型のロボットは生身では不可能なこともロボットがあればできる!そこに尽きる。子どもが戦場で生き残れるのもそうだし、たった一人で巨悪に立ち向かうのもそうだ。あくまでロボットは力に過ぎず、パイロットが何をしたいかが主題にならなくてはいけない。だから感情がこもってない勝利ではカタルシスに欠ける。AGEスタッフは搭乗型のロボットと非搭乗型ロボットの違いをしっかり考えて、作って欲しい。
3話と最近の『ガンダムAGE』を見ていて、ロボットものの演出について思ったことがある。
ラグランジェ3話のバク転しながら移動するミドリやAGE15話のビグザムもどきと切り結ぶガンダムのように、カメラ位置を固定して、画面は動かさずにロボットを動かす演出が私は大好きだ。なぜそう思うかと考えてみると、単純に絵的に躍動感があるし、客観的に移動距離も感じられるので位置関係が把握しやすく戦場の空間の広がりを感じられることで没入感が増すというのはあると思う。だけど自分が好きな理由はキャラの主体性が感じられるからだと思う。
たとえば敵に向かって斬りかかるシーンでもカメラ=視点を動かして撮ると自分から動いているのか、何かに迫られて動いているのか、ぶれて見えてしまい弱い。画面を固定すると客観的になって、その中で動く主体がより乗り手の意思を感じさせてくれる。
AGEがUEはかっこよく見えて、味方側は勝っててもぱっとしないように見えるのはそのせいかな。ガフランは能動的に戦場を駆け巡って戦うのに、地球側はガンダムでさえ、襲ってくるから倒してる感じで受動的に見える。口では復讐を語るフリットとこの演出は相性が悪い。
もう一つ思ったことは戦闘の流れの中での攻守の切り替え方。
『敵の猛攻→押される主人公→あるきっかけを境に主人公のターンに。』という流れは主人公が強く、かっこよく見えるのでよく使われる定番のパターンだ。AGEも基本的にこの流れなんだけど、いまいち盛り上がらない。というのも感情が入ってないからだ。ロボットものでは戦闘の攻勢、守勢だけでなくキャラの感情面でも流れを切り替えないと面白くない。
直接搭乗型のロボットは生身では不可能なこともロボットがあればできる!そこに尽きる。子どもが戦場で生き残れるのもそうだし、たった一人で巨悪に立ち向かうのもそうだ。あくまでロボットは力に過ぎず、パイロットが何をしたいかが主題にならなくてはいけない。だから感情がこもってない勝利ではカタルシスに欠ける。AGEスタッフは搭乗型のロボットと非搭乗型ロボットの違いをしっかり考えて、作って欲しい。
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