Gのレコンギスタ 第25話 『死線を越えて』:感想

2015年3月25日

【ストーリー】

■ローマは一日にしてならず
・Gレコ世界って徹頭徹尾、技術の進歩に対して人の知性と感性が追いついていませんよね。
みんな「すごい道具だ。これならすごいことができるに違いない!」と浮かれるばかりで、具体的にどう使うかとか、何ができるかを考えた試しがありません。

・今回アホな最後を遂げたサラマンドラなんてまさにそうです。他人に指摘されれば確かにおかしいと理解できることなのに、技術のすごさに根拠の無い信頼感を寄せたせいで無駄な死を迎えてしまいました。耐熱フィルムがどういう仕組みなのか、逆噴射などやれることはやったほうがいいんじゃないか、そういうことを考えられる意識があれば死ななくて済んだはずです。サラマンドラの乗員を死に追いやったのは、状況でも艦のダメージでもなく人の愚かさだったのだと思います。

・技術に浮かれているのは戦争屋だけではありません。
前回は和平路線を向いていたマニィでさえも、いざ自分が強力な兵器を扱えるようになってやったことは「ベルリ、私達のために死んでよ!」でした。元はただの女子生徒だったマニィでさえも戦争の渦中に身を投じればこうなってしまいました。「荒んだ心に武器は危険なんです!」とはこのことですね。

■リアルは地獄
・それとGレコは”都合が良いもの”を徹底的に否定しているように感じました。
人類の革新たるニュータイプに対しては「あんなの狂人の妄想に決まってるだろ?!」ですし、オーバーテクノロジーに対しても「ちゃんと考えて使わなきゃ意味ねぇよ」です。作中の登場人物は私利私欲を中心に自分の価値観で動いていて、大局を考えて動く物分かりの良い聖人は誰もいません。ベルリやアイーダの思想が若干マシなのも生活にゆとりがあって、育ちが良いおかげで文化的な暮らしを送れてきたからに過ぎません。ブルジョワのインテリであって、確固たる信念を持って動いているわけではありません。
この点がGレコのわかりにくさの要因の一つなのだと思います。

■スコード教の功罪
・Gレコ世界の人間の考え方がこうなったのは文明の荒廃以外に、スコード教もその一因だと私は考えます。タブーの遵守を押し付けるばかりでルールを守ることの意義を教えなかったことが、人々から考える力を奪ってしまったのだと考えます。

・スコード教のやり方は鼻先に人参をぶら下げるやり方です。
「戒律を守って良い子にしてれば金星からもらえるフォトンバッテリーで良い暮らしができるからね」とメリットを餌に言い聞かせてきただけです。問題だったのはその一方で技術を手放さず、教義にも組み込まずに放っておいてきたことです。MS開発などを禁忌とする一方で、軌道エレベーターや作業用MSなど便利な道具は改良を続けてきました。その結果、悪用する側は「MSや戦艦だって便利な道具の一つに過ぎない」と考えるようになり、戒律を重んじるウィルミット長官でさえも「あれはタブーに触れていませんか?」と表面をなぞる抗議しかできない社会体制ができあがってしまいました。戒律を守らせるなら守らせるで、時代に則して教義を再定義し直していけば少なくともキャピタルアーミィのようなものはできなかったでしょう。過去の遺産への過信という点では、スコード教もヘルメスの薔薇と同じなのだと思います。

・しかしスコード教がなければ地球の人類は、もっと早く戦争を始めて滅んでいたことも確かだと思います。もっと上手く手綱を握れていれば平穏な時代が続いたようにも思えますが仕方のないことなのでしょうね。歴史にIFはないのですから。


【アクション】

■ファンネルの使い方
・ファンネルの使い方に関心を持って見ているのですが、面白いですね。
従来のガンダムだとファンネルを使う機体は機体よりもファンネルがメインか、「周りで浮いているビームライフル」という扱いが多かった印象があります。
Gレコの場合、「一回使いきりの広範囲攻撃兵器」という印象で、内蔵型のミサイルやグレネードの発展形のように見えます。その分、機体ごとの特徴が反映されたり、雑魚の露払いに使われたり、様々なシチュエーションが生まれて演出上良い方向に働いているように感じます。
私もファンネルは単調で嫌いなんですが、これくらいの使い方だと戦闘に起伏が生まれて面白いと思います。


次回はいよいよ最終回です。
これまでの流れからすると「大地に立つ」のはガンダムではなく、”人”なんでしょうかね。


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