人の醜さを描いた傑作 映画『エレファントマン』:感想

2014年5月4日
映画『エレファントマンの感想です。

エレファント・マン [DVD]エレファント・マン [DVD]
(2012/05/09)
ジョン・ハート、アンソニー・ホプキンス 他

商品詳細を見る


お気に入り度 8/10



【人の醜さ】
・この映画の主役は醜く垂れ下がったその容貌から題名である「エレファントマン(象男)」と呼ばれる男、ジョン・メリックです。
物語は医師のトリーブスが見世物小屋で働いていた彼を見つけ、彼の患っていた病気への興味から彼を病院に連れてきたことから始まります。人々の好奇心に翻弄されながらも、ジョンは人としての尊厳を持ち、そして幸福の内に天に召されて終わります。これだけならばよくある感動のヒューマンドラマですが、エレファントマンの違いはそのグロテクスさにあります。

■エレファントマンの清らかさ

・ジョンの姿は非常に醜いものです。
全身は腫瘍で膨れ上がり、しゃべるのも困難なため話し方もぎこちありません。怪物のような醜さではなく、見た瞬間に人だとわかるリアルな姿が余計に嫌悪感をかき立てます。しかし彼の内面は驚くほど清らかです。始め全く話せず言葉も理解できていない様子だったのは周囲に怪物扱いされ怯えていたからで、本当の彼は聖書も暗記し芸術も理解する一人の人間でした。

・トリーブス医師や看護婦たちを始め、周囲が人間としての彼に理解を示し始めた頃、事件は起きます。
病院の警備員が影でお金を取って人々を連れ込み彼を見世物にしていたのです。彼を醜い化け物と呼ぶ人々の醜悪さはご想像の通りです。いったいどちらが本当に醜いのかは明らかです。しかしここで映画の観客もまた気付かされるのです。自分が初めてジョンを見たときにどう思ったのかと。
醜いと罵ることはなくとも、見た瞬間腰が引けていたはずです。ここで終わっていれば、醜さの中に美しさを描き、大衆の中の醜さを描いた戯画に過ぎません。それだけでもヒューマンドラマを通して自分を省みるには充分ですが、この映画にはまだ続きがあります。

■トリーブス医師の偽善
・ジョンを見世物小屋から出し、やがて友と呼ばれるようになった人物、それがトリーブス医師です。
しかし元々は彼の症状に興味を持ち、学会で発表するために見世物小屋から出したに過ぎません。たまたま彼の内面に気づいたから彼を人間扱いするようになっただけ、という疑念は最後まで拭えません。事実、トリーブス医師はジョンから友と呼ばれても彼のことを友とは呼ばず、最後まで一定の距離を保っていたように見えました。
見方によっては医師として、人としての名誉のため、偽善者ぶるために彼を助けたようにも見える作りになっています。

・その一方でトリーブス医師が彼を救い出したのは紛れもない事実です。
彼が認められるよう手をつくし、反対する人々を説得し、そして最初に彼を人間扱いしたのはトリーブス医師でした。ジョンを再び見世物とした警備員へ怒りを露わにする姿や戻ってきたジョンを抱きしめた姿に偽りはなかったと思います。ときには自分の行動が偽善でしかないのではないかと自覚し悩みながらも、最後までどこか距離感を感じさせる姿がとても人間らしいと感じました。

■もう一人の偽善者・ケンドール婦人

・ジョンを物理的に救ったのがトリーブス医師ですが、精神的に救った人物は他にいます。それがケンドール夫人です。
夫人は新聞でジョンのことを知り、同情してくれた部外者では数少ない人物です。美しい女性に一人の人間として扱われたことで、ジョンが人間としての自信を取り戻すきっかけになりました。また最後には自身が主催する劇へと招き、そこで主賓として人々に彼を紹介しました。醜い顔を晒しても人々に拍手で迎えられたことで、ジョンが完全に人としての尊厳を取り戻す最後の後押しとなったのは間違いないでしょう。

・しかし彼女にもまた影があります。
ジョンと最初に面会したとき、彼女は自分の写真を渡しています。なぜプレゼントが自分の写真であったのか。彼女はナルシストでも軽薄な人物でもありません。贈り物にふさわしいものは他にもあったはずです。彼女と会った後、ジョンは悲劇の人物として一躍注目を浴び、上流階級の様々な人物が彼の元を訪ねてくるようになっていきます。これこそが彼女の狙いだったように思えます。
ジョンに会いに来た人々が写真を見ることで彼女の存在も意識するようになる。最初に新聞でジョンに興味をもったのもそういった下心があったからとも考えられます。最後の劇での人々へのジョンの紹介もジョンが望んだものではなく彼女が仕掛けたことです。彼女はあくまでジョンを利用しただけではないのか、そうとも思える作りになっています。

・ケンドール夫人はジョンを利用した偽善者なのか、それとも本当に無償の愛を注いだ人物だったのか。
中盤以降に登場する脇役でありながら、そういったゆらぎを感じさせる素晴らしい造形です。

■グロテクスの中に垣間見えるもの
・姿は見難くとも聖人であるジョンや下衆な大衆、純朴なフリークスなど大げさに描かれたグロテクスさとトリーブス医師とケンドール夫人のように偽善と善意が混ざり合った複雑なグロテクスさ。劇中のグロテクスさを通して、この映画を見た観客の心のグロテクスさを鏡に映すように見せつけるのがこの映画の最大の目的だったと私は思います。

・2人のやったことは偽善であったかもしれません。
しかしそれでジョンが救われたことは事実です。このことは見世物小屋とも重なることです。
人々の特異な姿を見世物にするのは悪趣味です。ですが見世物小屋はまともな仕事につけない奇形の人々にとっては唯一の仕事でした。ジョンの扱いは悪いものでしたが、彼がこれまで食いつないで来れたのは仕事があったからです。そして人々が見に来たから、見世物小屋は成り立ってきました。ここには偽善とつながるものがあると思います。

・もう一つ考えるべきことがあります。
物語は人としての尊厳を取り戻したジョンが人として生きようとして死ぬことで幕を閉じます。病魔に蝕まれたジョンが最後に安らかな死を迎えられたことはハッピーエンドと言えます。しかし、そもそもジョンが救われたと喜ぶ自体がおかしなこととも言えます。
ジョンが不遇な人生を背負わされた原因は、全て周りの人々が化け物扱いしたせいです。マイナスだったものがあるべき姿になった、それは果たして喜ぶべきことなのでしょうか。ここでもまた観客の心の中をすかされているように感じました。


【個人的感想】
・古い映画ですが、昔から気になっていた作品でした。
とても考えさせられる内容で見て良かったと思っています。見終わってから知ったのですが、この映画はカルト映画で有名なデヴィッド・リンチ監督の作品だったんですね。個人的にはあまり好きではありませんでしたが、作品のテーマと監督の嗜好が上手く噛み合っていたように思えました。
監督の偏執的なこだわりとヒューマンドラマの清々しさが化学反応を起こした結果、人の内面のきれいな部分も汚い部分もグレーな部分も描きだす傑作が生まれたのだと思います。

・ホラーやスプラッターのようなグロテクスさとは別物なので、そういう映画が苦手な人でも大丈夫だと思います。
偽善と無関心、思想と行動、そういったことに興味がある方にはぜひオススメしたい映画です。

コメント

0 件のコメント :

コメントを投稿

 コメントは承認後に表示されます。
*過度に攻撃的な言葉や表現が含まれている場合、承認されない場合がございます。節度と良識を保った発言をお願いいたします。