『仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス』:感想
『仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス』を見ました。
酷いという噂を聞いていましたが、見てみたらゴースト本編よりまともで驚きました。何に驚いたかというとこれを比較的まともだと感じる自分の感性に驚きました。確実に病んでいます。
【一言感想】
・劇場版単体、ストーリー、アクション、ゴーストとドライブの派生作品、どの角度から見ても酷い。
・ドライブが好きな人は絶対見ないほうがいい。スタッフを殺したくなる。
・でもゴースト本編よりまとも。
・”まとも”とはいったい何かと考えたくなる哲学的作品
■まずは酷さの確認から
・内容は酷かったです。様々な角度に照らし合わせてもクソ映画と言われても仕方ない内容でした。
現行作品のゴーストを中心に前作のドライブのキャラも登場しますが、どちらも酷いです。
ゴーストは主人公のタケルから敵まで全員別人です。タケルはやけに好戦的で、アカリはおかん風になっていて、敵に至っては眼魔スペリオルが関西弁でしゃべる泥棒をやっていたりします。ゴーストを好きな人が見たら憤慨すること間違いなしです。
タケルの父親が手斧で偉人眼魔を倒したり、念じるだけでワームホールを創りだすのも劇場版公開当時に見ていたら噴飯ものだったでしょうね。既にゴースト本編がラスト間際の今では、それくらいできてもおかしくないと思ってしまいますが。
・ドライブは性格やしゃべり方は本編に似せてあります。それは良いのですが、問題は劇場版の展開です。
本編最終回から三ヶ月しか経っていないのにハーレー博士が新しいドライバーを作っちゃったり、チェイスが雑に復活して雑に死んだりします。ベルトさんがポケモンばりに草むらに潜んでいたり、本願寺課長が死ぬのがギャグにされることなんてどうでもよくなるくらい酷いです。ドライブが好きな人は絶対見ないほうが良いです。
散々アピールしていた進之介と霧子の結婚もただ結婚するだけで前後に何もドラマがありません。剛に相談する進之介とか、自分の父親のように霧子を残して殉職するかもしれないのに結婚していいのかと悩むとか、そういうドラマは一切ありません。「劇場版で公式に結婚した」という設定だけ頭に入れれば充分です。
・劇場版のストーリー自体も無茶苦茶でした。
タイムトラベルと歴史改変要素が話のメインギミックなのですが、設定と時系列が全く理解できません。過去の出来事が直に現代に影響しバタフライエフェクトの名の下にロイミュードが復活したりしますがその影響がでたらめで理解に苦しみます。アカリが過去の出来事の影響を受ける一方、剛たちには何の変化もなかったり、ハートたちは完全な悪党になっているのにチェイスは正義のまま仮面ライダーチェイサーに変身し本編の記憶も完全に引き継いでいたりします。矛盾しているように見える描写がいくつもあって、見ている途中で理解するのを諦めたくなってきます。
1)龍がタケルたちを呼んだこと
2)チェイスの存在(他のロイミュードは洗脳されているのになぜチェイスだけ味方で、しかも別人でもなく記憶を保持しているのか)
3)西園寺やアランの関与(そもそも10年前の眼魔たちは誰の差金なのか、10年前に作られたのか現代からタイムトラベルしてきたのか)
この3つの点が全てつながる流れすら推測できませんでした。あまりにもわけがわからなくて、理解力の問題ではなく筋書き自体が破綻しているのではないかと疑うレベルでした。
・アクションはこれをアクション映画と呼ぶことすらためらわれる内容でした。1/3はギャグ扱い、1/3は負け戦と生身戦でまともなバトルの数が少ししかありません。
その上、今回の敵で3度も戦うことになるダビンチ眼魔のアクションが最低です。ダビンチの人体図にかけて腕と足が片側2本ずつ、全部で4本腕の4本足になっているのですが動かせるのは当然一本ずつで残りの手足は中身の芯もなくプラプラしているだけで超かっこ悪いです。こんなの相手にまともな格闘戦ができるはずもなく、敵もライダーもかっこよく見えない最低のバトルでした。ダビンチがぐるぐる回ると竜巻ができ、それでライダーが為す術もなく飛ばされるとかこんなものをよくやったものです。
他のバトルも大半がギャグに使われていて、まともなアクションがほとんどありません。まともに見れるのは最後のマッハと巨大戦でのタイプトライドロンくらいで合計5分にもなりません。アクション目当てで見るのは無謀だと思います。
・個人的には人の生き死にをギャグにするのが不快でした。
課長が犬死にしてもその行為を笑うのは間違っていると思います。「成果を挙げなければ価値がない」という価値観はヒーローものには合わない考えだと思います。
■酷いけどまとも
・一つ一つの要素を検証するとこんな酷い内容でしたが、見ているときの印象は「ゴースト本編よりもまとも」でした。
そう感じたのは予め、「脚本家が本編に全く関わっていない上に特撮未経験者で、おまけに脚本が作られたのがゴースト1話が始まる前」という情報を聞いていたので相当酷いだろうと覚悟を決めていたのもありますが、ゴースト本編とは決定的に違うところが大きかったと思います。
・何がまともだったかというと、登場人物の反応がまともでした。
ここが大きな違いだと思います。たとえば、
剛「(嬉しそうに)進兄さんたちがダビンチを倒したんでしょ。だから消えたんでしょ」
進之介&タケル「(怪訝な顔をして)ダビンチが? 消えた?」
剛「(怪訝な表情に変わって)違う…の?」
こんな感じにちゃんと会話になっています。ゴースト本編の場合、基本的に一方的に投げつけるだけで誰もキャッチしないか、何を言っても「俺はお前を信じる」とか無条件に信頼されるので会話が成立しません。
シリアスなときにギャグをやるのはいただけませんでしたが、反応自体はそのキャラらしさが見受けられました。反応が人それぞれなので人数を並べている意義があります。
作劇としては当たり前のことなのですが、それがあるかないかでこれほど印象に違いが出るとは驚きでした。
■収穫
・ジェネシスを見た一番の収穫はゴーストの根源に近づけたことです。
このとおりキャラも別人の酷いストーリーで部外者が1話も見ずに作ったはずなのに、ゴーストらしさを感じるところがところどころありました。
・それが何かというとタケルとマコトです。
タケルは好戦的だし、敵を倒したら偉人アイコンも壊れて「3つも手に入るチャンスだったのにもったいない… 俺の寿命、あと何日残ってるんだっけ?」と本編では欠片もない俗っぽいことを言ったりしてまるで別人です。
・そんな別人のタケルでもキメ台詞のところだけ本編のタケルっぽく見えました。
「俺は…命をつなぐ!」などと親父に言われたことをオウム返しに繰り返すところが実にタケルらしかったです。普通の作劇だと「俺は死ぬわけにはいかない。生きて父さんのように何かを残さないといけないんだ!」とか、その意味するところを自分の言葉で述べるものですがタケルはそういうことはしません。この全然理解しているように見えない超ふわふわ感を見るとタケルって感じがします。
・マコトも雑魚に苦戦するタケルに「甘すぎるんだ、 詰めが!」といきなり怒鳴る一方、タケルたちが過去から帰ってきたときには「ダブルヒーローのご帰還だ!」とか言っちゃいます。うん、マコトってこんな感じですよね。ストーリー展開に合わせて180度異なる言動になるところが実にマコトらしかったです。
・初期設定などだけを見て脚本を書いたら性格や言動が別人になるのは当たり前です。
それなのにタケルやマコトを本編と瓜二つに書けたことは信じがたい出来事です。初期設定だけでこれだけ再現できるということは、タケルやマコトのキャラは最初から予定されていた既定路線だったと考えるのが自然でしょう。驚愕の事実です。これがこの映画を見る唯一の意義だと思います。
もしもタケルとマコトのあのシーンだけは本編のシリーズ構成の福田さんが書いたと言われたら心の底から納得することでしょう。
■リハビリ用にはなるかも
・客観的事実を交えながら書いていくと、如何に今の自分がおかしくなっているかがわかりますね。
これをまともと感じるのはおかしいです。傍から見たら狂ってるでしょう。
私のようにゴースト本編を見て感性が狂ってきている人のリハビリ用としてはオススメできるかもしれません。おかしなものの中に少しだけ混じっている正常な感覚に触れることで異常さを相対化する作用が期待できます。狂っている状態で完全にまともな作品を見ても他人ごとのように感じて効果がない可能性があるので、こういう少しだけまともな作品に触れるのも一つの手だと思います。
酷いという噂を聞いていましたが、見てみたらゴースト本編よりまともで驚きました。何に驚いたかというとこれを比較的まともだと感じる自分の感性に驚きました。確実に病んでいます。
【一言感想】
・劇場版単体、ストーリー、アクション、ゴーストとドライブの派生作品、どの角度から見ても酷い。
・ドライブが好きな人は絶対見ないほうがいい。スタッフを殺したくなる。
・でもゴースト本編よりまとも。
・”まとも”とはいったい何かと考えたくなる哲学的作品
■まずは酷さの確認から
・内容は酷かったです。様々な角度に照らし合わせてもクソ映画と言われても仕方ない内容でした。
現行作品のゴーストを中心に前作のドライブのキャラも登場しますが、どちらも酷いです。
ゴーストは主人公のタケルから敵まで全員別人です。タケルはやけに好戦的で、アカリはおかん風になっていて、敵に至っては眼魔スペリオルが関西弁でしゃべる泥棒をやっていたりします。ゴーストを好きな人が見たら憤慨すること間違いなしです。
タケルの父親が手斧で偉人眼魔を倒したり、念じるだけでワームホールを創りだすのも劇場版公開当時に見ていたら噴飯ものだったでしょうね。既にゴースト本編がラスト間際の今では、それくらいできてもおかしくないと思ってしまいますが。
・ドライブは性格やしゃべり方は本編に似せてあります。それは良いのですが、問題は劇場版の展開です。
本編最終回から三ヶ月しか経っていないのにハーレー博士が新しいドライバーを作っちゃったり、チェイスが雑に復活して雑に死んだりします。ベルトさんがポケモンばりに草むらに潜んでいたり、本願寺課長が死ぬのがギャグにされることなんてどうでもよくなるくらい酷いです。ドライブが好きな人は絶対見ないほうが良いです。
散々アピールしていた進之介と霧子の結婚もただ結婚するだけで前後に何もドラマがありません。剛に相談する進之介とか、自分の父親のように霧子を残して殉職するかもしれないのに結婚していいのかと悩むとか、そういうドラマは一切ありません。「劇場版で公式に結婚した」という設定だけ頭に入れれば充分です。
・劇場版のストーリー自体も無茶苦茶でした。
タイムトラベルと歴史改変要素が話のメインギミックなのですが、設定と時系列が全く理解できません。過去の出来事が直に現代に影響しバタフライエフェクトの名の下にロイミュードが復活したりしますがその影響がでたらめで理解に苦しみます。アカリが過去の出来事の影響を受ける一方、剛たちには何の変化もなかったり、ハートたちは完全な悪党になっているのにチェイスは正義のまま仮面ライダーチェイサーに変身し本編の記憶も完全に引き継いでいたりします。矛盾しているように見える描写がいくつもあって、見ている途中で理解するのを諦めたくなってきます。
1)龍がタケルたちを呼んだこと
2)チェイスの存在(他のロイミュードは洗脳されているのになぜチェイスだけ味方で、しかも別人でもなく記憶を保持しているのか)
3)西園寺やアランの関与(そもそも10年前の眼魔たちは誰の差金なのか、10年前に作られたのか現代からタイムトラベルしてきたのか)
この3つの点が全てつながる流れすら推測できませんでした。あまりにもわけがわからなくて、理解力の問題ではなく筋書き自体が破綻しているのではないかと疑うレベルでした。
・アクションはこれをアクション映画と呼ぶことすらためらわれる内容でした。1/3はギャグ扱い、1/3は負け戦と生身戦でまともなバトルの数が少ししかありません。
その上、今回の敵で3度も戦うことになるダビンチ眼魔のアクションが最低です。ダビンチの人体図にかけて腕と足が片側2本ずつ、全部で4本腕の4本足になっているのですが動かせるのは当然一本ずつで残りの手足は中身の芯もなくプラプラしているだけで超かっこ悪いです。こんなの相手にまともな格闘戦ができるはずもなく、敵もライダーもかっこよく見えない最低のバトルでした。ダビンチがぐるぐる回ると竜巻ができ、それでライダーが為す術もなく飛ばされるとかこんなものをよくやったものです。
他のバトルも大半がギャグに使われていて、まともなアクションがほとんどありません。まともに見れるのは最後のマッハと巨大戦でのタイプトライドロンくらいで合計5分にもなりません。アクション目当てで見るのは無謀だと思います。
・個人的には人の生き死にをギャグにするのが不快でした。
課長が犬死にしてもその行為を笑うのは間違っていると思います。「成果を挙げなければ価値がない」という価値観はヒーローものには合わない考えだと思います。
■酷いけどまとも
・一つ一つの要素を検証するとこんな酷い内容でしたが、見ているときの印象は「ゴースト本編よりもまとも」でした。
そう感じたのは予め、「脚本家が本編に全く関わっていない上に特撮未経験者で、おまけに脚本が作られたのがゴースト1話が始まる前」という情報を聞いていたので相当酷いだろうと覚悟を決めていたのもありますが、ゴースト本編とは決定的に違うところが大きかったと思います。
・何がまともだったかというと、登場人物の反応がまともでした。
ここが大きな違いだと思います。たとえば、
剛「(嬉しそうに)進兄さんたちがダビンチを倒したんでしょ。だから消えたんでしょ」
進之介&タケル「(怪訝な顔をして)ダビンチが? 消えた?」
剛「(怪訝な表情に変わって)違う…の?」
こんな感じにちゃんと会話になっています。ゴースト本編の場合、基本的に一方的に投げつけるだけで誰もキャッチしないか、何を言っても「俺はお前を信じる」とか無条件に信頼されるので会話が成立しません。
シリアスなときにギャグをやるのはいただけませんでしたが、反応自体はそのキャラらしさが見受けられました。反応が人それぞれなので人数を並べている意義があります。
作劇としては当たり前のことなのですが、それがあるかないかでこれほど印象に違いが出るとは驚きでした。
■収穫
・ジェネシスを見た一番の収穫はゴーストの根源に近づけたことです。
このとおりキャラも別人の酷いストーリーで部外者が1話も見ずに作ったはずなのに、ゴーストらしさを感じるところがところどころありました。
・それが何かというとタケルとマコトです。
タケルは好戦的だし、敵を倒したら偉人アイコンも壊れて「3つも手に入るチャンスだったのにもったいない… 俺の寿命、あと何日残ってるんだっけ?」と本編では欠片もない俗っぽいことを言ったりしてまるで別人です。
・そんな別人のタケルでもキメ台詞のところだけ本編のタケルっぽく見えました。
「俺は…命をつなぐ!」などと親父に言われたことをオウム返しに繰り返すところが実にタケルらしかったです。普通の作劇だと「俺は死ぬわけにはいかない。生きて父さんのように何かを残さないといけないんだ!」とか、その意味するところを自分の言葉で述べるものですがタケルはそういうことはしません。この全然理解しているように見えない超ふわふわ感を見るとタケルって感じがします。
・マコトも雑魚に苦戦するタケルに「甘すぎるんだ、 詰めが!」といきなり怒鳴る一方、タケルたちが過去から帰ってきたときには「ダブルヒーローのご帰還だ!」とか言っちゃいます。うん、マコトってこんな感じですよね。ストーリー展開に合わせて180度異なる言動になるところが実にマコトらしかったです。
・初期設定などだけを見て脚本を書いたら性格や言動が別人になるのは当たり前です。
それなのにタケルやマコトを本編と瓜二つに書けたことは信じがたい出来事です。初期設定だけでこれだけ再現できるということは、タケルやマコトのキャラは最初から予定されていた既定路線だったと考えるのが自然でしょう。驚愕の事実です。これがこの映画を見る唯一の意義だと思います。
もしもタケルとマコトのあのシーンだけは本編のシリーズ構成の福田さんが書いたと言われたら心の底から納得することでしょう。
■リハビリ用にはなるかも
・客観的事実を交えながら書いていくと、如何に今の自分がおかしくなっているかがわかりますね。
これをまともと感じるのはおかしいです。傍から見たら狂ってるでしょう。
私のようにゴースト本編を見て感性が狂ってきている人のリハビリ用としてはオススメできるかもしれません。おかしなものの中に少しだけ混じっている正常な感覚に触れることで異常さを相対化する作用が期待できます。狂っている状態で完全にまともな作品を見ても他人ごとのように感じて効果がない可能性があるので、こういう少しだけまともな作品に触れるのも一つの手だと思います。
この映画は本当に酷かったです。映画館に見に行ったのですが1時間半を無駄にした気分でした。
返信削除この映画の恐ろしい所は、いくつもありますがそのうちの二つを上げていきたいと思います。
まず、第一にこれがドライブにとって正史だということです。
ゴーストのほうはゴーストが見えるという設定や、父さんの死に方、トーサン魂と
パラレルワールドだと分かる設定ですが、
ドライブの方は小説版において年表に書かれていることから、正史と認められてしまったことが分かります。
しかもその小説が今度リリースされるVシネマに直結する話ですから言い逃れはできません。
ドライブはそこまで好きな作品ではないのですが、ここまでひどい出来のものを組み込まれるとなると同情せざるを得ません。
別に脚本家さんに非があると言ってる訳ではありません。
ただ、見ていただいた今なら通じるであろうドライブの最終回を台無しにするような展開があるじゃないですか?
いくらドライブが終わる前だからといってドライブを放送していた当時、脚本やストーリー展開のコミュニケーションなどはなかったのでしょうか。そこが疑問でなりません。
次にマコトのキャラクターです。
これを放映した当時は、まだカノンちゃんも助けていない完全に第三勢力状態のマコトだったんですよ。気付かれていましたか?そうであれば申し訳ありません。
いくらパラレルだからといってここまでキャラが違うと違和感がすさまじかったです。
今でこそそれに近くなりましたが、当時はもう非難の嵐でした。
>ドライブの方は小説版において年表に書かれていることから、正史と認められてしまったことが分かります。
削除しかもその小説が今度リリースされるVシネマに直結する話ですから言い逃れはできません。
そうらしいですね。うわー、と思いました。
わざわざドライバーまで回収していったのに3ヶ月でドライバー再生産はとても公式設定とは思えません。そんなことしたら本当にベルトさんが悪堕ちしてしまいそうです。劇場版では描かれていないけれど、「実はコアドライビアを搭載していない代替劣化品」とか落とし所があるんですかね。
>今でこそそれに近くなりましたが、当時はもう非難の嵐でした。
公開当時に見た人の感想を見ていて、マコトのキャラが違いすぎと言っている人を見かけました。
私は脚本家が部外者と知っていましたし、タケルたちも明らかに別人だと思ったので特に違和感はありませんでした。ゴーストも終盤の今となってはむしろ再現度が高くて驚きました。
ここで書かれたドライブの評価は苦言が覆ったので、とりあえずOwl0079さんでも「この映画はドライブファンは見ると後悔する」と感じて下さったようで少しほっとしてます。
返信削除本編の「もうやめろ!」に対し「私が世界だ」を考えると、確かにこの映画の登場人物は真面な会話は出来てたんですよね。
当時は本願寺と仙人のコントにもドン引したものです。ゴーストって生き返る為に戦うのが物語の主軸なのにスタッフはよくあれを許可したなぁと。
結局今日の放送で龍を殺したのがダビンチ眼魔ではなくアデルと言う事になった以上、この話は本編との繋がりは無しと言う事でしょうか。 なのにライダーの魂ではタケルが進ノ介の事を覚えてたりフレイとフレイアが本編で登場したりと、一体どう解釈すればいいのか自分でも解りません。
>RT,当時は本願寺と仙人のコントにもドン引したものです。ゴーストって生き返る為に戦うのが物語の主軸なのにスタッフはよくあれを許可したなぁと。
削除あれは寒かったです。ゴースト的にもドライブ的にも無しだと思います。そもそも子供にわからないネタを3分近くもやるのは発想自体がおかしいと思います。
>結局今日の放送で龍を殺したのがダビンチ眼魔ではなくアデルと言う事になった以上、この話は本編との繋がりは無しと言う事でしょうか。
私もわかりません。虫食いで部分部分で取り入れているのでスタッフのさじ加減次第なので考えようがないと思います。
>なのにライダーの魂ではタケルが進ノ介の事を覚えてたり
この点に関してはジェネシス以外に、ドライブ最終回があるのでジェネシスは無関係という可能性もあります。ニュートンアイコンがあるので少なくともドライブ最終回とゴースト本編はつながっているのは確かでしょう。
この映画が放映された当時はまさか本編がここまで酷くなるとは思いませんでした・・・。
返信削除映画に関しては、ドライブに関しては悪い意味で「ドライブらしい」と感じました(どこからどう見てもご都合なベルトさん、無意味なギャグシーン等)。ゴーストに関してはいきなりアランを責め立てる西園寺や、シーン毎に性格が変わる登場人物など一般的な作劇では酷いとされるものが本編では日常茶飯だったので、これはゴースト本編の視聴者に対しての警告だったのではないかと思います。
次は、ゴーストとエグゼイドのMOVIE大戦があります。全く本編に関わっていない脚本家でもある程度本編に沿ったキャラクターが描けるということがこの作品で証明された以上、ゴーストについては大丈夫なのではないかと思います。全体的な評価はどうなるか分かりませんが。
>この映画が放映された当時はまさか本編がここまで酷くなるとは思いませんでした・・・。
削除たぶん、ジェネシスの脚本家の人も驚いていると思います。
>全く本編に関わっていない脚本家でもある程度本編に沿ったキャラクターが描けるということがこの作品で証明された以上、ゴーストについては大丈夫なのではないかと思います。
個人的には懐疑的です。なぜかというとゴーストらしさの再現が難しいからです。
タケルやマコトの特徴は抽象的でふわふわしたことしか言わないことです。しかしこれは通常の作劇では悪手でしかありません。ジェネシスはゴーストが主役だからそれでも原作再現と言えましたが、次回作が主役になる次のムービー大戦では通用しません。ゴーストらしさを出しつつ通常の作劇を両立できるのか疑っています。
抽象的でふわふわしたゴーストらしさの再現が難しい、確かにそうですね。タケルやマコトの芯を立たせてしまうとゴースト本編特有のふわふわ感は確かになくなってしまいますね。それにしても、普通の作劇にするとゴーストらしさがなくなってしまうというのは、やはり異常ですね。
削除ところでサプライズフューチャーはもうご覧になりましたか。感想の記事がみあたらなかったので
返信削除見ていません。
返信削除ジェネシスのついでに見ようかと思ったのですが、特に見るモチベーションがなかったので止めておきました。