『劇場版 ”仮面ライダー鎧武” サッカー大決戦!黄金の果実争奪杯!』:感想

2015年4月22日
『仮面ライダー鎧武』の夏に上映した劇場版『 仮面ライダー鎧武 サッカー大決戦!黄金の果実争奪杯!』を見ました。

劇場版 仮面ライダー鎧武/ガイム サッカー大決戦! 黄金の果実争奪杯! [DVD]
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【一言まとめ】

・ストーリーは可もなく不可もなく。アクションは良好
・サッカーは意外と楽しい

・馬上戦やサッカーなど他では見られない絵面が見られる
・逆にいつものアクションの延長線上の豪華版を求めると裏切られる

・綺麗な紘汰さんが見られる
・紘汰以外のキャラは出てないと思ったほうがいい


【良かった点】

■サッカー
・実際に見るまでは「サッカーなんて…」と思ってましたが面白かったです!
鎧をまとった姿で真剣にサッカーをしている絵面がまず面白いです。シュールなようで動き自体は上手なので見ているうちにだんだんかっこよく見えてきました。ラストバトルの雑魚と戦いながらのサッカーなんて「戦いなんてどうでもいいからサッカーしろよ!」と思えるほどサッカーの魅力を感じる内容でした。

・ストーリー面でもわりと噛み合っていました。サッカーだとパスを出したり、ゴールを守ったり、シュートを決める主役以外にも見せ場があります。ただいっしょに踊るだけのダンスバトルに比べてチームメンバーの存在感がありました。見れば見るほど、サッカーも有りだなと思える内容で面白かったです。

・ラスボスのマルスとは別のもう一人のライダーの『冠』の出番があれだけだったのはびっくりでした。
変身したのがラストバトル直前だったことまではストーリーの流れに合っていたので違和感はありませんでした。しかしまさか「変身→みんなで名乗り→戦闘開始!、の前にトランスフォームしてサッカーボールに変身!」なんて流れだとは全く思ってもみませんでした。あれならスーツの実物用意しないでCG処理で良かったんじゃないかと思ってしまいました。

■鎧武の活躍
・鎧武は戦闘シーン=活躍というくらいの超優遇でした。
劇場版オリジナルフォームは、ドングリ、バナナ、ドリアンアームズと3種類も有りました。相手がマルスの初戦で使われ方は微妙でしたけど、3種類は豪華に見えました。

・個人的には何と言ってもカチドキです!
カチドキ一番の個性である旗を使って敵を圧倒してくれました。相変わらずどうやってダメージを与えてるのか謎でしたが、かっこよかったので良いです。本編では販促のためにDJ銃ばかり使われて、歯がゆい思いがありましたがようやく報われた気がしました。

・極での馬上アクションも良かったです。
視界の悪いスーツで馬に乗ってアクションをしている、そのすごさに圧倒されました。まともに斬り合うのは止まったときだけで、あとは走っているだけでしたが、物理的に限界があるので仕方ありませんね。
個人的には短弓の形が活かされていたところが良かったです。
馬を走らせたまま弓をつがえて撃てるのはあのサイズならではです。戦国武将のモチーフもここで初めて生きてきた感じがしました。本編のゲネシスライダー同士のソニックアローの撃ち合いが好きだった人にはオススメのシーンです。

■マルスの強さ
・劇場版限定ライダーで、ラスボスなのが仮面ライダーマルスです。
盾と長剣が武器なんですが、使い方がかっこよかったです。
相手の攻撃を盾で捌き、剣で突き倒し、常に相手を突き放していくスタイルがラスボスらしい圧倒的な強さを醸しだしていました。

・マルス/コウガネを演じたのは歌舞伎役者の片岡愛之助さんでした。
当然のことながら上手で全く違和感がありませんでした。むしろ表情の演技が上手すぎて浮いているくらいでした。こういう上手い人なら畑違いのゲストも大歓迎です。

■スタッフロール
・各ライダーの顔がアップで映っていくところがシンプルにかっこよかったです。
特に印象に残ったのが”モザイク画”です。最後の「スタジアムのエキストラのみなさん」の名前が延々と並ぶところで、人名の文字の色を部分的に変えてライダーを描いたモザイク画にしてあって、びっくりしました。ライダー映画のスタッフロールにこんな遊び心があるとは思ってなかったので感動しました。


【残念だった点】

■ストーリー
・悪くはなかったです。本編で全く描かれなかった紘汰の長所を描こうとしたり、滅んでしまったオーバロードと紘汰たちとの差異を描こうとしたり、劇場版というパラレル枠を使った掘り下げには賛成します。

・だがしかし尺が圧倒的に足りませんでした。
メインに紘汰・ラピス・コウガネの3人も話に関わらせるには短すぎました。映画自体が正味65分で、そのうちアクションが30分、説明で10分。残りの25分でメイン以外に戒斗など他のメンバーも出さなければいきません。テレビ放送と同じ程度の時間しかないのに新キャラ二人も出すのは無謀でした。90分映画だったら足りたでしょうね。

・この問題に関しては、私はラピスとコウガネを同一人物にしちゃっても良かったんじゃないかと思いました。
コウガネは「世界を滅ぼすぞー」で、ラピスは「戦ってばかりじゃダメなのに… サッカー?そういうのもあるのか」で、二人の方向性が全然噛み合ってないように見えました。
1つの身体に2つの人格や、善と悪で実体を持って2つに別れた存在とか、二人で1セットにして目的と言動が一貫するようにしたら、時間を取らずに要点をまとめられたんじゃないかと思いました。

■綺麗すぎる紘汰さん
・本劇場版では紘汰(と光実)以外は、全てパラレルワールドの住人で見た目は同じでも別人でした。でも紘汰も同一人物に見えませんでした。何故かというと”綺麗な紘汰さん”になっていたからです。

・本編の紘汰さんは「絶対に許さない!」と他人のせいにしてばかりでしたが、劇場版の綺麗な紘汰さんは「俺は諦めたりしない!」とやる気を見せるし、事実から客観的に物事を考えて相手の正体を見破ったり、「こんな紘汰さんがフリーターなわけがない!」と思えてしまうほど別人でした。
真人間なので見ていて清々しかったです。どちらが良いかと言われたら迷わず劇場版の紘汰さんを選びたくなります。

・しかしこれは紘汰さんではないでしょう。
無責任で人の意見を鵜呑みにするばかりで自分では何も考えないのが、正しい紘汰さんのはずです。こうしたくなる気持ちはわかりますけど、公式なシリーズ作品でやるべきことではないでしょう

■ストーリー上でフォームチェンジが活かせていない
・最初から極アームズを使えるのに使わず、ラストで当たり前のように取り出して使うことには違和感がありました。その直前に同じ相手とカチドキで戦っているので手抜きにしか見えません。

・ここに限らず、ストーリー上でのアクションパートの取り入れ方が微妙でした。
最後にコウガネがサッカー形式に付き合う理由が見当たりませんし、前半の沢芽市自警団vsユグドラシルの戦争で、なぜ自警団側がスイカ部隊や軍隊並の装備を持っているのかも何の説明もありません。自警団の装備の裏にはシドの裏切りがあったように見えたり、脚本上にはあってもカットされたように思えるところもありましたが、全体的にはやはり戦闘への流れに不自然なところが多く見受けられました。

■妙にややこしい設定
・夢の世界だけどコウガネが復活するとリアルがやばいらしかったり、紘汰以外はパラレルワールドかと思ったら光実も本物だったり、妙にこんがらがっていて混乱しました。もっとすっきりさせたほうが良いように思いました。

・特に舞を別人にしたことはストーリー上で致命的な問題があったと思います。
舞がラピスに紘汰の良さである「諦めないこと」を語ったことで、ラピスの心境に変化が生まれて世界が救われたわけですが、この舞は本編の舞とは別人なのでここで語られている紘汰はこの世界の紘汰のことのはずです。つまり勘違いで世界が救われたことになってしまいます。結果オーライですし綺麗な紘汰さんもそういう心情だったので別に問題はないのですが、しっくりきません。
舞と紘汰が別世界の人間だということを忘れているんじゃないかと、脚本に不信感が生まれてしまいました。

・先に述べた尺不足の問題もありますし、冒頭の爽やかスポーツマンの戒斗や、シドの野心を見破って自ら処刑する貴虎みたいに本編と性格の異なる平行世界の住人を交えながら紘汰の話を掘り下げていったほうが良かったんじゃないかなと思いました。

■鎧武が関わらない戦闘が退屈
・紘汰が参加しない戦闘は、大局と関係ない小競り合いばかりでどちらが勝っても影響がないとわかりきってて盛り上がれませんでした。特に序盤が退屈なのは問題です。「人間は争い合う」という物語の前提を描くために、ペコ黒影真vsバロンやブラーボ・残月真・バロンがぶつかるのですが、ただのケンカなので、ど~でもいいです。

・中盤の鎧武闇vs龍玄やレモンバロン&マリカvs鎧武闇&マルスも結果が見え見えの消化試合でした。鎧武の活躍は目を見張るものがある代わりに、それ以外のライダーとキャラが犠牲になってしまっているのは残念でした。


【総合感想】

■劇場版単独で見ると面白い
・パラレルワールドの番外編としては面白かったです。
活躍するカチドキや極など本編の豪華版のアクションは元より、サッカーや馬に乗って戦うライダーなど、ここでしか見られない珍しい映像も見られました。鎧武の物語に興味がない私としては、見て良かったと思える内容で満足です。

■鎧武の劇場版としては不適切
・反面、『鎧武』の劇場版として適切かと言われると疑問です。
紘汰に重点が置かれていて、戒斗を始め大半のキャラが脇役扱いで犠牲になっています。しかし劇場版の紘汰は綺麗な紘汰さんでまるで別人でした。これでは本編の掘り下げとしては不適切に見えます。これでは、この劇場版から本編にフィードバックできる内容は無いという結論になってしまいます。

・面白い部分に関しては、オールライダーで同じ内容をやったとしても特に違和感はないと思います。以上の点から、この内容が鎧武の劇場版として適切であるかは疑わしく思えます。ファンの人にオススメする気にはなれません。



コメント

18 件のコメント :

  1. 本編最終回に付いて「紘汰さんにおんぶに抱っこじゃ台無しなんじゃ?と思いましたが、そう思うのはきっと劇場版を見ていないせいなのでしょう。」と書いてありましたが、何か変わったことはありましたか?
    (一応)

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    1. 鋭いご質問です。
      結論から言いますと、書かなかったのは「つながりが見えなかった」からです。

      少なくとも直接的なつながりはないように思えました。
      本文で書いたように劇場版で扱われた登場人物はコウガネ、ラピス、紘汰の三人です。しかし3人とも最終回とつながっていません。コウガネは劇場版でも最終回でも「世界を滅ぼす」という単純な理由でしか動いておらず、周囲に影響を与えないし、コウガネも影響を受けた様子はありません。最も紘汰から影響を受けたラピスは最終回には全く関与していません。そして紘汰は劇場版ではまるで別人だったため考慮に値しません。

      直接的なつながりではなく、テーマの関連性などであれば考えられる要素は少しありました。それは「諦めない」という価値観です。
      最終回の主役は光実でしたが紘汰に頼りきりでした。それで何の解決になったのかと私は疑問に思ったわけですが、劇場版もラピスは紘汰に頼りきりでした。しかしそれでもラピスは成長したものとして扱われてました。その程度の変化で良しとする価値観であるならば、光実の変化もあれで充分なものとして認識されていた可能性はあります。
      光実は困難な状況にも諦めず、もがいて、戦いが終わった後も絶望せずにあがくことに決めました。諦めないこと、それ自体に価値があるとすればハッピーエンドにはそれで充分と言えるのかもしれません。

      ただ、この考え方には1つ大きな穴があります。それは「戒斗の存在」です。
      戒斗が作中で最も諦めが悪い男だったことは紛れもない事実です。諦めないことに価値があるとすれば、最後まで諦めなかったのに紘汰に力で負けて退場した戒斗は何だったのかということになります。紘汰は肯定され、紘汰を信望する光実も救われたが、戒斗はダメ。これでは矛盾しています。

      「仲間の存在」という点が紘汰と戒斗の違いではないかとも考えました。
      確かに劇場版ではそういう側面も示唆されていました。ただ、これも整合性が取れないように思います。
      戒斗はザックに裏切られたり、仲間に信頼されていないことは明らかです。しかし、では光実はどうなのかというと疑問です。
      戒斗は裏切られただけで裏切ったことはありません。チームを捨てたのもザックに託した後ですし、戻ってきて共闘していたときは指示を出したりユグドラシル突入時に作戦を任せたり、充分に信頼していたと思います。オバロ化した後も戒斗が裏切ったというよりかはザックたちに見限られただけです。
      それに対し、光実は明確に裏切っています。ユグドラシルと内通し、紘汰を嵌めようとし、レデュエを招き入れて沢芽市を崩壊させた張本人です。二人のどちらが裏切り者だったかと聞かれたら、考えるまでもないと思います。

      以上の点から劇場版と最終回の展開のつながりを私は見いだせませんでした。
      つながりがないと言い切る理由もありませんが、あると言える根拠も発見できませんでした。
      煮え切らない結果ゆえに書かなかった次第です。

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  2. 私もこの映画を劇場に見に行きましたが、やはりここ最近の仮面ライダーの夏の劇場版は出来がいいですよね。

    最初、サッカーはどうかな…とは思いましたが普段では見られない
    〝おふざけ〟されども〝真剣〟にサッカーで戦う仮面ライダー達を見ることが出来たので結構面白いスパイスではありましたね。
    ただ、あの年のワールドカップで日本が勝ち残っていればもっと面白く感じたのでしょうけど…。

    私はこの映画に出てくる黒影・真が鎧武に登場する仮面ライダーの中で一番好きです。
    〝最強のザコ〟という存在に反応を示してしまうんですよ。ガンダムしかり、特撮ヒーローしかり。
    だからもう少し活躍の場が欲しかったかな…と、思ってしまいます。槍系のアクションは映えますしね。

    この映画の内容についてですが、滅んでしまったフェムシンムにも紘汰のような考えを持つものがいた、という設定はとても面白いと思いました。
    力を求める者の戒斗とデェムシュ、陰から手を伸ばし自分の思い通りにしようとする光実とレデュエなど、
    フェムシンムと人間の重なり、歴史は同じ道を辿ろうとしているということをほのめかすような描写は深いと思いました。貴虎に妻がいるという設定は多少強引ではありましたが(笑)

    ところで筆者さんは仮面ライダーオーズは見られましたか?
    感想の欄にないのでどうなのか分からないのですが…。
    私は仮面ライダーオーズが現仮面ライダーシリーズの中で一二を争うほど好きなのですが、
    いつも筆者さんの感想などを参考に物語を深く理解させていただいているのでぜひ、感想を聞いてみたいです。

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    1. そうですね。ウィザードも良かったですし、オールスターでない単品系は良くなっていると思います。

      黒影は残念でしたね。見た目も黒影の使い回しで区別がつかず、戦闘もほぼ無しでした。黒影を楽しみに見ていたら、とてもがっかりしたと思います。ペコは展開の都合上、仕方ないにしてもその後の自警団vsユグドラシルで量産型として活躍させるくらいはしてほしかったです。

      劇場版に限っていえば描写は良かったと思います。ただ、本編と噛み合っていないんですよね…
      光実をレデュエになぞらえていましたが、仲間を裏切る策謀家という共通点はあっても本質は全く異なります。レデュエは自分の楽しみのために積極的に動いているのに対し、光実は自分を守るために打算で動いてきたに過ぎません。
      こういうところもつながっていたら、劇場版にも物語上の意味があったと思えたのですが。

      オーズはリアル放送で全話見ました。
      書いていないのは、単純に私がブログを始めたのがフォーゼの放送当時だったからです。(Wはyoutubeの公式配信で見直しながら書いたものです。)

      私のオーズへの基本的な印象は「面白いけど好きじゃない」です。
      好きではない理由は感覚的に小林さんとそりが合わないだけです。
      面白いと思ったところは、
      1)個性の強いキャラクター
      2)メダルの組み合わせのバリエーション
      3)毎週放送に適したストーリー展開
      の3つです。

      オーズといえば登場人物のキャラの濃さだと思います。
      敵味方含めて人数は少なくないのに、みんな頭角を示していて空気になるキャラクターはいませんでした。それぞれが独自の目的をもって動いていたおかげでしょうね。「欲望を肯定する」というテーマ性の補強にもなって、相乗効果が生まれていました。

      アクション・玩具面でのオーズの特徴といえば、頭・上半身・下半身の3部位が細かく変わるフォームチェンジです。この点もユニークだったと思います。
      色も見た目も異なりパーツごとに独自の能力もあったのでイベントが多く、同じ雑魚戦でも楽しみがありました。個人的にはラトラーターのような統一フォームよりも、バラバラの組み合わせのほうが楽しみでした。

      小林さんには珍しく、ストーリー展開と噛み合っていた点も良かったです。
      なぜバラバラに使うといえば、敵から一部だけ奪ったり、敵にメダルを奪われた後だったり、その組み合わせを使う必然性がありました。「一番強いフォームをいつも使えば良いのに」というライダーのツッコミどころへの返答にもなっていて感心しました。
      特に毎週放送する放送形式と相性が抜群に良かったと思います。パワーアップもこなしつつ、ときどき弱体化させたり、敵にメダルを奪わせて強化したり、細かくメリハリがありました。ライダーはシリアス寄りな分、戦隊よりも展開が直線的になりがちだと私は思っています。ギャグでお茶を濁したりできないので、強化フォームが出るとしばらく、6話くらいは一方的な戦いになりがちですからね。その点オーズは奪ったり奪われたり、いろいろな組み合わせを使ったり、バリエーションが豊かで面白かったです。

      キャラクターを土台にして展開を二転三転させるやり方は、勢いがありながらも安定性も感じられる上手いやり方だったと思います。
      話も「欲望」と「バディもの」という普遍的なテーマでわかりやすく、初心者にもオススメしやすい作品だと思います。

      最後に私が個人的に合わなかった点を簡単に述べておきたいと思います。
      1つはアクション軽視。もう1つはキャラの贔屓と冷遇の差が激しかった点です。

      アクションはフォームチェンジも面白いのに、展開にはほとんど取り入れられていませんでした。
      各幹部の死亡までの流れに、弱すぎるタトバキック、煽るだけ煽って一瞬で消えたスーパータトバ、脚本以外でも頭以外はあまりパーツごとの特徴付けができてなかったり、アクションにはいろいろ問題がありました。アクションシーンは映司が行動的になりアンクともつながる物語上の意味がある箇所ですので、もう少し意味を持たせてほしかったです。

      キャラの扱いの差は好みの問題だと思います。
      映司とアンクや伊達さんが贔屓にされるのは許容範囲ですが、カザリの優遇とは大違いなウヴァやガメル、メズールの扱いの酷さが目に余りました。後者の3人は数合わせという感じで死に方まで適当で唖然としました。普段好きか嫌いかは別として、有終の美くらいは飾らせてあげるのが当然だと思います。

      そんなわけで「面白いけど好きじゃない」というのが全体の印象になります。

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    2. オーズはやはり好みが結構分かれますよね。

      主人公がメダルの奪い合い弱体化と強化を繰り返していくという、従来の仮面ライダーシリーズでは描かれなかった〝力の奪い合い〟という新たな描写がとても印象に残っています。
      サブライダーのバースの方はオーズと違いセルメダルという安定したエネルギーさえあれば変身できるのでそういう点でも2人(のちに3人になりますが)の差別化がされていて面白いと感じました。

      オーズのアクションは確かにあまり厚みがなかったかもしれませんね。
      でも、個人的にはラトラーターで加速して減速するときにトラクローをスパイク代わりにするというこれまでの加速系ライダーでは見せなかった描写や、
      コンボでは体に負担がかかるということからわざわざ亜種フォームで戦う描写が新鮮に映りました。

      筆者さんは小説などは読まれますか?
      もし読むのであれば、小説版仮面ライダーオーズはできれば読んでいただきたいです。
      これまた本編と同じく好みが分かれると思いますが物語の補完がされていて読みごたえがあります。
      まあ、TVでは再現できないような描写もあるので番外編というとらえ方もできますが。

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    3. そうですね。トラクローのブレーキは面白かったですね。
      アクション自体はそれほど悪くはなかったと思います。(個人的に恨みのあるプトティラは除く)
      私が問題視しているのは戦闘がストーリー展開から外されている点です。小林さんの作品だといつもそうなのですが、戦闘前までにやるべき展開が終わっている消化試合か、戦闘で中断して戦闘終了後に話が再開されるかのパターンが多いことが私は苦手です。

      ライダーに限らず、小説やコミカライズなどは基本的に見ません。
      全てが併行して作られているマルチ作品ならともかく、番外編に対するオリジナルと呼べるものが存在するものはオリジナルだけで完結しているべきだと思っています。放送中に劇場版や公式サイトなど外部資料を極力見ないこともそういう理由です。
      ライダーに関しては、私がライダーに対してストーリー性やテーマ性をそれほど求めていないことも理由です。販促ノルマや実写での制限/脚本の無理な注文などをスタッフがどうまとめて、どう対処するのかに私は重点を置いています。

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  3. こんにちは、去年劇場に足を運んで見に行ったので思いだしながら読みました。舞については本当に致命的ですよね。私は某所でこの映画についての感想を書いたのですが正直他の場所では言及されてるところが無かったので同じように思っていた方を見つけられて少し嬉しくなりましたw
    某所でも書きましたが個人的にはつっこみどころ満載な作品だったなと思ってます。結局のところ何がしたいのか、何を伝えたいのかさっぱりなところがTV本編そのままだなと。設定を説明するだけのセリフ、相変わらずコウタの良さを具体的に説明しない舞(偽物ですが)、結局ラピスとは何者だったのか、そしてあのサッカーの世界はなんだったのか。コウタが見た(見せられた)夢の中だったのか、ならばどうしてミッチは現実のミッチだったのか、どうしてコウタだけは消滅せずに闇化したにとどまったのか。このあたりの設定を製作側はちゃんと詰めていなかったのではないかと私は疑っています。
    あとこれは個人的な意見でウィザード映画にもいえることなのですが、私はライダーの夏映画はキャスト、そして登場人物が本編開始からここまで成長そして絆を深めてきたと御披露目する機会でもあると思っているのでほとんどの登場人物が異世界の別人という設定で作ってしまうのはどうしても違和感を感じていまいます。
    本当に個人的な意見ですが。

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    1. こんにちは。
      お喜びいただけて何よりです。某所がどこかわからないので返答には認識のズレがあるかもしれませんが、ご了承ください。

      全体的にわからないところが多かったですね。特にラピスの作った世界とコウガネの危険性に関しては、もう少しわかりやすい設定にしたほうが良かったと思います。
      以下は私の雑感になります。深く考えたわけではないので矛盾などもあるかと思います。

      紘汰の良さを「(前向きのまま)諦めない」ことというのはわからなくはありません。ただ、戒斗もロシュオも諦めてない人物に該当してしまうように見えました。しかも鎧武の場合、妥協した人物である光実にしても貴虎にしても心が折れた理由は現実を知ったからでした。それに対して紘汰は全く現実を直視したことがないんですよね。全ての現実を受け止めても紘汰が諦めないかというと、私は疑問です。
      少なくとも本編の描写とは食い違っているように見えました。
      脚本家もシリーズ構成の虚淵さんではなく、本編途中で書いたものですから食い違いが生じるのは仕方がないと思います。しかしそれなら555や剣のように完全なパラレルにしてしまったほうが良かったと思います。

      ラピスとあの世界は私もよくわかりませんでした。
      ラピスの説明を聞く限りだと、「ラピスが夢の世界にコウガネを封印(以降ラピスの現実での生死は不明)→ヘルヘイムと地球がつながったことでラピスが紘汰の存在を知り、興味を抱く→(劇場版の冒頭?それ以前?)紘汰とリンクし、サッカーの世界を作り出す(この時点では平和)→サッカー世界でプロフェッサーがコウガネの痕跡を発見したことでコウガネが復活。以降劇場版の内容に続く。(なんでラピスの世界なのにラピスが止められなかったのは不明)」という流れなのかと考えました。
      一番わからないのは「ラピスの世界でコウガネが復活すると、現実世界もヤバい」という部分でした。これに関しては考えられる要素は2つあります。1つは紘汰に作用したように、「ラピスの能力は現実にも作用でき、逆にラピスの世界から現実に赴くことも可能である」という考えです。
      もう1つは「コウガネはかつてヘルヘイムに存在した現実の存在であり、架空の存在ではない。よって封印しているラピスの束縛から逃れられれば再び現実世界に戻ることができる」という考えです。
      こういう設定だとしたらコウガネが危険であるという話も頷けます。

      光実も本物だった理由は全くわかりませんでした。
      アホの紘汰さんの脳みそでは情報が足らなかったから、頭がいい光実からサッカーのルールなど地球の情報を得ていて、その関係でつながりがあったんでしょうかね。

      紘汰が虫に取り憑かれても消滅しなかった理由は根拠が見当たらないので何とも言えません。
      可能性があるとしたら、紘汰が禁断の果実の力を既に手にしていたからかもしれません。極アームズを持っているので、劇場版においても紘汰のオバロ化は既に始まっていたはずです。
      コウガネが自分でやっておいて結果に驚いていたのも禁断の果実の力を考慮していなかったのが理由かもしれません。

      私はパラレルはベターな選択肢だと考えていますが、そういうご意見もわかります。
      パラレルでやるとオールスターや新規作品と違いがなくなってしまいますからね。鎧武もそうでしたが、本編とつながるようで関係ない話なので、もやもやするところもあります。

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  4. ひとつ書き忘れましたすいません。たしか物語はコウタの「そうか、そうだったのか…」的なセリフで〆られていたと思うのですが正直設定が詰められていないことが多すぎて思わず「何が?」と心中で聞き返したことを強く覚えています。果たしてこの疑問に正確に答えられる人が製作サイド含めているのでしょうか。私には疑問です。(私の読解力が足りないだけかもしれませんが)

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    1. 私は未だにさっぱりですね。何の話だったのか仮説すら立てられません。
      鎧武が好きという方は少なからずいるようなので、誰か筋道立ててまとめてくれる親切な方はいないものかと期待しているのですが。

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  5. はじめまして。今回たまたま検索でこのブログの事を初めて知りました。
    この映画に関する僕個人の不満ですがまずラスボス(マルス)があまり強くないということ。
    中間フォームのカチドキアームズにはおろか僕の記憶が正しければ鎧武のバナナやドングリアームズにも多少攻撃を受けている描写があったと思います。あと余談ですがあの時何故ジンバーメロンアームズを登場させなかったのでしょうか?
    マルスの強さがイマイチなのでクライマックスのマルス対11人のアーマードライダー達の戦いもあまりカタルシスが感じられませんでした。
    次に戒斗軍、ピエール軍、ユグドラシル軍による戦いのシーンに尺を使いすぎだと思います。あのシーンをもう少し削れば冠の戦闘シーンを挿入したり、キャラの掘り下げを少しでも出来たのでは思います(ただしほとんどのキャラが本編とは別人ですが)
    あとキャラの心理描写は虚淵さんよりも鋼屋さんの方がまだ丁寧なのではないでしょうか?鎧武外伝の斬月編や鎧武&ドライブのMOVIE大戦を見ているとそう思います(もし両作品とも管理人さんが見た事がないのでしたらすみません)
    あと個人的にいくら鎧武本編のコウタに比べて映画のコウタの内面が綺麗とはいえ
    「こんなキレイなコウタさんがフリーターな訳がない」の一文は蛇足だと思います。
    世の中にはフリーターじゃなくても客観的に物事を考えられない人間や内面が未熟な人はたくさんいると思います。


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    1. はじめまして。

      マルスは少し出し過ぎでしたね。冠や鎧武闇など戦わせられる駒はいたので、最初と最後以外は出張る必要はなかったと思います。この辺りは鎧武にフォームチェンジ、ジンバー、カチドキ、極と全部使わせるためなのでしょうが、下策だったと思います。

      自警隊vsユグドラシル部隊は無駄に長かったですね。もしも私がどこかカットしていいと言われたら真っ先にあそこをカットします。坂本監督の生身病と同じく撮影側の暴走のように見えました。ああいうのは感心しません。

      両方ともまだ見ていませんので結論は下せませんが、この劇場版に関してはそこまで良くないと思っています。理由は完全オリジナルになってしまっているからです。紘汰を筆頭に性格も行動も別人になっっています。そこまで崩してしまうと何をもって「鎧武」と呼べるのかわからなくなってきます。
      オリジナルの設定を取り入れながら上手く翻案できていたら褒めますが、このやり方は褒められません。鎧武に困惑してきた身としては、そうしたくなる気持ちはわかりますけどね。

      フリーターの件に関してもこれが理由です。
      一般論で言えば仰るとおりだと思います。フリーターかどうかは関係ありません。作中においてもピエールや貴虎などフリーターでないけどダメダメな人間はたくさんいます。しかし紘汰さんには関係があると私は考えます。
      紘汰さんは作中で「無気力なフリーター→ユグドラシルに祭り上げられたアーマードライダー→自分から動く仮面ライダー→救世主」という過程を経ています。
      この流れでフリーターという状態に意味がないとは思えません。逆に言えば、もしも紘汰さんがフリーターでなかったら、物語は成立しないということになります。
      劇場版のコウタさんほど理解力があり、前向きな精神に満ちあふれていたら、ユグドラシルタワーでの大暴れやサガラの言いなりはなかったかもしれません。そもそも何も先のことも目の前のことも考えずにフリーターをやったりしないでしょう。本気でダンスに取り組むなり、学校に行くなり、定職に就くなり、もっと悩みながら行動していたはずです。それでは本編の流れが成立しません。劇場版での改変は本編を根底から覆すほどのものだと思います。

      そういう意味を込めての「こんな紘汰さんがフリーターなわけがない!」です。
      私はあくまで劇場版は本編に付属するものだと考えています。本編と同一人物であるはずの紘汰の極端な改変はいけないことだと思っています。

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  6. この夏映画の感想をみて思ったのですが、おそらく、『MOVIE大戦 フルスロットル』や『鎧武外伝』は筆者さんでも気に入るのではないかな、と。
    本編のキャラクター達の過去や信念、さらに本編での経験を通して彼らがどう変わっていったかがかなり納得いく形で描かれていたので。
    もちろん本編でやらなかったことをあえてやったに過ぎないと言われればそうなんですけどね。
    (もうご覧になってたらすみません・・。)

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    1. kさん、はじめまして。

      フルスロットルは見るつもりですが、鎧武外伝は今のところ見るつもりはありません。
      なぜかというとあくまで放送終了後の外伝であり、脚本もシリーズ構成の担当ではないからです。ライダーという枠を取り払えばヒーローものはたくさんあります。私にとってのライダーの価値は「4クールの作品で」「ノルマの多い販促番組」「実写アクション」のシリーズ作品であることです。ダレがちな4クールの長丁場をどう乗り切り、同時に1話ごとにある大量のノルマをどう対処するのか。そしてそれとは別にどんなアクションが見られるのか。そこが私にとって重要なポイントです。

      外伝の場合、アクション以外この区切りに当てはまりません。シリーズ構成の担当作であれば「4クール分の経緯を含めてどんな作品を作るのか/失敗を活かすのか」という視点で見れますが、別の人の担当では新規作品と大差ありません。鎧武が好きなわけでもありませんし、特に見る理由がないので見る予定はありません。

      フルスロットルに関しては「ライダー劇場版シリーズ」として見ます。この分野に関してはあまり熱心ではありませんが。

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  7. まあ確かにシリーズ構成を担当した虚淵さんは「キャラクターに関しては描き足りないところがあった」と認めているようですからね・・。(特に戒斗)
    そのためか、『鎧武外伝』ではサブライターの鋼屋さんと毛利さんがキャラの掘り下げを上手い具合にやってくれていたのですが皮肉にも外伝(と後日談)の方が本編よりも評価が高いという事態になってるんですよね・・。(本編にのれなかった人たちにも好評なようです)
    もちろん、鎧武をあまり好きでないなら食指が動かないのはわからないでもないのですが『フルスロットル』を見た後でもいいので見る予定においてもらえたらいいな・・と。我ながら差し出がましいですが。

    後、筆者様の見方を否定するわけではないのですが、私自身は『鎧武』に限らず、本編で描き切れなかったところを映画やVシネマ、小説などの媒体で補完してくれるのはありがたいなと思っています・・。
    それにこれらの媒体ではテレビでは表現できない描写を入れることでより深く描くことができるという利点もあるので。(『W RETURNS』や『鎧武外伝』、小説版『OOO』など)

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    1. 元々虚淵さんの担当回より鋼屋さんや毛利さんのほうが常識的だったのでその程度だと予想の範囲内になります。今のところ普通の娯楽は求めていないので遠慮しておきます。そういうのが見たくなったら見るかもしれません。

      はい、そういう考え方も正しいと思います。
      ただ、そういった内容は私にとって作品の「拡張」なんです。私が興味があるのは作品の「枠組みの中での取り組み」なので、レギュラー放送の枠を取っ払ってしまうとそれほど興味がなくなってしまいます。この枠組み以外の面でライダーにこだわっているわけではないので、この枠組みを外してしまうと他の作品や映画、漫画など様々な物と競合することになります。そのため優先順位が低くなります。

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  8. 古い記事にコメントを失礼します。
    自分も最初から最強フォームを持ってるのに舐めプして最後にいきなり出すのに不満があるタイプです(ウルトラの映画とかで頑なにタイプチェンジをしない様子を見てるのと似た感覚)それで、一つお聞きしたいのが、管理人さんは逆にどうすればその辺を上手く魅せられると思いますか?私はやはり最強フォームになる道具が使えない理由を作ったりだとか、何かしらの制約で最終フォームには変身できなくなったりが無難だと思いますが、正味だいぶ無理があるし、話を作るのも難しくなりそうな気がします。一体どうすればいいのでしょう…

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    1. 大井勇人さん、はじめまして。

      最強フォームを出せない理由としては、
      1)制限時間などの使用条件。
      2)変身アイテムを紛失する、奪われる。
      3)敵の対策などで途中まで無効化。
      といった辺りが無理のない範囲だと思います。

      >私はやはり最強フォームになる道具が使えない理由を作ったりだとか、何かしらの制約で最終フォームには変身できなくなったりが無難だと思いますが、正味だいぶ無理があるし、話を作るのも難しくなりそうな気がします。

      大井さんはこれに無理があるとお考えのようですが、それはどのような意味でしょうか?

      その他には「最強」という点にこだわらなくていいならば、「最強フォームは火力や総合力に優れる。それ以前のフォームにも独自の役割がある」という設定にすれば話の作りようはあると思います。
      たとえば聴力に優れたクウガのペガサスフォームです。高速移動する敵を補足して羽を撃って機動力を奪う。それから火力に優れた最強フォームを使って倒す。こんなふうに能力バトルもののような展開を挟めばフォームの個性とドラマを両立できると思います。

      あとはいっそのこと「フォームにこだわらない」という線もあり得ると思います。
      最近は「最強フォームになっても武器は以前の各フォームの物を全て使う」という販促スタイルが増えてきていると思います。
      そこを先鋭化して「最強フォームが出たら古いフォームは使わない。その代わりに古いフォームの変身アイテム(鎧武でいうところのロックシード)を使った遊び(音声対応、必殺技など)を最強フォームの玩具側に増やす」といったアプローチも考えられるのではないかと思います。

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