プリキュアとは何か?『スイートプリキュア』を振り返ってみる

2012年2月5日
スイプリは「プリキュアとは何か」をテーマにした作品だったように思える。
少女が変身する物語なら魔女っ子も魔法少女もある。最近多いアイドルを目指すタイプのもある意味変身ものだ。じゃあプリキュアはいったいどう違うのか?スイプリはそこに真剣に向きあおうとしたんだ。

-変身-
変身するということは今の自分とは違う自分になるということ。魔女っこものでは身体的に少し大人になった自分になることだ。魔法の力も加わって肉体的には完成されることで、精神面での壁を自力で乗り越えることに焦点が当てられる。プリキュアもこの基本的な定義を守っている。
スイプリの少し異なる点は変身後も内面の変化がほとんどないことだと思う。変身すると肉体同様、精神的にも雄々しくなることが多いが、スイプリの場合どこまでも素のままだった。変身してもケンカしたり仲直りしたり、日常の延長線上にあることばかり。
誰に言われたわけでもなく自分で過ちを反省したセイレーン。力はあっても、何を成すべきか迷いがあったミューズ。そんな二人に働きかけ、二人からも学び成長した響。大きな変化はなく、盛り上がりに欠けるように見えてしまうほど緩やかに全体を通して描いてきたそれぞれのプリキュアの成長。それがあったからノイズとの決戦から最終回への流れがすごく良かったんだと思う。
特にラストの「明日に向かって変身するのよ!」という台詞はピアノを弾くちょっと大人びた響と相まって、最終話までも過程に過ぎず、たとえ二度とプリキュアに変身することはなくてもまだまだ響たちの物語は続いていくんだなと思わせてくれた。

-ヒーローとしてのプリキュア-
プリキュアと言えば”浄化”が定番になっている。スイプリもネガトーンを浄化してるのだとずっと思っていたけど違うとわかった。そのきっかけになったのが最終話で流れた幸せのメロディーだった。幸せのメロディーと不幸のメロディーは同じだったんだね。ただの表と裏の関係でしかない。中盤の音符の争奪戦は正直つまらなかった。だけどあれにも意味があったんだ。
触れるものによって幸せのメロディーにも不幸のメロディーにもなる音符。たとえネガトーンになっても幸せのメロディー側に属するプリキュアとハミィの力で元に戻せる。ノイズの力を受けたトリオ・ザ・マイナーだって戻せる。だけどノイズには効かない。ノイズは幸せの反対の不幸だけでできている。元に戻すも何も不幸の面しかない。だから互角の力があった音吉さんとクレッシェンドトーンも力づくで封印することしかできなかった。そんなノイズをプリキュアが浄化できた理由、それは不幸の塊のノイズにだって幸せなことが見つけられると気づかせたからだ。目の前に自分を受け入れてくれる人がいる。プリキュアの存在よりもそれが重要だったんだ。
考えてみればハミィが音符を浄化する際に手と手を合わせる仕草をするのは、響がノイズにしたように相手を包み込む意思の表れなのかなと思う。答えはずっと目の前にあったんだ。

力で正”常化”するのではなく、敵でさえ変えてしまう。音吉たちが考えつかなかったように、未成熟な響たちだからできたこと。浄化って元に戻すこと=変化しないこと。あるいは自分の都合の良い形を強制することとも言える。そこから一歩踏み込んだスイプリは、ヒーローとしてのプリキュアに一石を投じたと思うな。

トリオ・ザ・マイナーやネガトーンとの戦いが消化試合間ありありで、いまいち盛り上がらなかったりアニメとしていろいろ問題はあった。でも全体を通してテーマを語ろうとしたスタッフの真摯な姿勢は好きだなぁ。
面白いとは言えないけど、好きになれるアニメ。それが私にとってのスイプリかな。



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