『仮面ライダーガッチャード』 第7話「さよならサボニードル」:感想
■ガッチャード流の前後編
・ライダーの前後編と言えばただでさえ薄いのに、ただでさえ薄いガッチャードとガッチャンコしちゃいました。ゼロとゼロを足してもゼロです。
「ケミーを届けに来た子供」「マルガムに襲われた」以上の内容がまるでなくて唖然としました。こんなのに1話使ってる余裕があるとは驚きです。
こんな話の薄さで「実は襲ってきたマルガムは父親だったんだ!」とかやっても子供のほうすら全然理解が深まってないので感情移入も何もありませんよ。
・東映公式ページには「スピンオフの撮影などの都合で2話完結形式にしました」と書いてあるので本来は1話で終わらせる予定だった話を無理やり2話に分けたのかもしれません。それはそれでどう考えても無理があることを都合で捻じ曲げて実行したスタッフはどうかしていますが。
■宝太郎
・今回は内田さん単独脚本なので何か違いがあるかな?と思っていましたが、内田脚本でも宝太郎はわりとクズでした。そこは変わらないんですね…
タブレットを触っている子供をゲームしてると決めつけたり、せっかく敵の情報を教えてくれたのにスパナや先輩に態度が悪かったり、相変わらず印象が下がる一方です。元気の良さと態度の悪さを履き違えているのは脚本の問題だけではないのでしょうか。
・敵の前に姿を現して撃たれたときには相手の場所を探るためにわざと撃たせたのかと思いましたがノープランなだけでうんざりしました。
危うくホッパーまで死ぬところで本当に迷惑なクズだと思いました。死ぬなら一人で死んでほしいです。
■脚本家の違い
・他にこれまでの違いと感じたところは、ケミー捕獲でなぜか攻撃しているところで違和感を感じました。
これまで野良ケミーの捕獲ってカードを掲げるだけで終わってましたよね。特に抵抗してるわけでもないケミー相手に弱らせようと攻撃する姿に違和感がありました。脚本家によってケミーに対する認識に違いがあるんでしょうか?
・リンネが世間知らずキャラになっていたこともあれ?と思いました。
失敗した後に「そんなの知らねーし」みたいに毒づくのもいつもと違う印象でした。長谷川脚本だともっと冷めていて「私にはカフェの注文の仕方とか必要ないし…」とか言いそうなイメージです。
■フラスコの中の悪意
・突然、なんか進展要素が出てきました。マルガム化することで敵側の計画が進むみたいです。
カード集めよりもそっちのほうが軸にしやすい気がするんですけど、なんで逆にしたんでしょうね?
「敵の計画阻止のために錬金術師たちは動いていて、その中で宝太郎だけはケミーを救うために戦っている」という構図のほうが宝太郎の印象は良くなると思います。
ストーリーの都合で計画は阻止できないので、予期しながら止められなかった錬金術師たちが無能に見えるのを避けたかったのでしょうか?
次回は後編です。
なんでまた別のフォームが出てるんだろう?と予告を見て不思議に思いましたが、特にこれといって理由付けになりそうなものは見当たりませんでした。これも無理やり2話に分けた弊害なのでしょうか。
こんにちは!今回も執筆お疲れ様です。
返信削除匿名さん、こんにちは。
削除労いの言葉ありがとうございます。
マジで薄いですね(’∀`)雑誌のインタビューとかで田崎監督やPが自慢げに話してるのが不思議でしょうがないです。2000年代より子供テイストなのはテレビ局とかの要望もあるかもなのでなんとも言えないですが、映像ギミックとかで『こんな風に処理するのか!』と驚いたり、ストーリーにそんな隠し要素が!みたいな、大人でも感心する面白味は入れ込めるはずなんですが、全てが子供テイストなのでさすがにしんどいです。基本フォーム(スチームホッパー)が良いというのはOwlさんと同意見です。
返信削除>雑誌のインタビューとかで田崎監督やPが自慢げに話してるのが不思議でしょうがないです。
削除その辺はお仕事の都合もあるのでアテにならないと思っています。「この作品は失敗なので見ないほうが良いです」なんて言ったら干されますし、「失敗は私のせいです!」なんて言ったら仕事が来なくなりますからね。そう言えるのはその程度では地位が揺らがない大物だけでしょう。
>映像ギミックとかで『こんな風に処理するのか!』と驚いたり、ストーリーにそんな隠し要素が!みたいな、大人でも感心する面白味は入れ込めるはずなんですが、全てが子供テイストなのでさすがにしんどいです。
ガッチャードに限りませんが、映像やお話が面白くないのはマズいですよね。「大人の視聴」にどころか、普通に見るに堪えないクオリティではどうしようもありまん。子供の人気だって他所に負けないようにしないといけないはずなのに、いったいどこで競り勝つつもりなんでしょうか。