『仮面ライダーゴースト』 第10話「集結!15の眼魂!」:感想
【ストーリー】
・今回のお話は流れ自体はまともでした。
ただ、私の感想としては「え?そのレベルの考えから始めるの?」と驚かされました。「自分の命と人の命を比べることなんてできない。でも自分の命を軽んじるのも間違ってるんだね!」なんて当たり前のことを今更言われても生暖かい目で見ることしかできません。これはヒーローに向けられるべき眼差しではないと思います。せめてこれが6話くらいだったら1クールの節目にどう結論づけるのかと期待することもできたのですが今がその節目です。何を今更言ってるんだろうと頭を抱えています。
・シブヤに取り憑いた眼魔を「忘れてた」って言い切っちゃったのもすごいと思いました。
見ていて「あれ、助けない?シブヤは眼魔のアイコンじゃなくて別の力で操られているのかな?」とか希望的観測で見ていたらそんなことはありませんでした。ユルセンは取り憑かれた人間を判別できるはずなのに現れないし、あのシーンは意味不明なことだらけでした。
さっきまで他人の命を優先しようとしていた人間が特に理由もなく目の前の人間を救うことを忘れてしまった。これって根底からひっくり返すようなとんでもないことだと思うのですが、そうでもないのでしょうか?
忘れてたが通用するなら今後の問題も楽勝だと思います。マコトの妹のことも、その存在を一瞬忘れて自分が生き返ることを選んでから「忘れてた。済んだことはどうしようもない」と思えばそれで片付いてしまいます。「忘れてた」は自分の悩みも他人の問題も全てなかったことにできてしまう魔法の言葉です。それを使っちゃったらもう無敵です。
・今回の担当はシリーズ構成の福田さんではなく毛利さんだったのですが、今回の内容は誰の解釈だったのでしょう?
作品全体に関わる内容なのでシリーズ構成からの指示とも考えられますし、毛利さんの独自解釈とも考えられます。1話全体ではなく一部のシーンが争点なので撮影スタッフの勝手な変更という可能性もあり得ます。とんでもない方向に進んでいたように見えたのですが、これが予定どおりなのか一部スタッフの暴走なのか判断がつきません。
■数が合わない?
・タケルとマコトの持つアイコンの数が合わないように思えて戸惑いました。
タケルが持っているアイコンは、ムサシ・ロビンフッド・ニュートン・ベートベン・ビリーザキッド・ベンケイの6つで、マコトの持っているアイコンは、ノブナガ・ツタンカーメン・エジソンの3つだと思っていました。
ところが今回マコトはアイコンを4つ持っていました。入手過程が描かれていない上に一度も使ったことがないアイコンが1つあるように思えるのですが、私が何か見落としたのでしょうか?
【アクション】
弁慶の活躍がまともだったことが大きいです。タイタンフォームのように攻撃を受けて戦うというゴーストの他のフォームとは異なる特徴付けがされていましたし、敵を圧倒していて強そうでした。特筆するほどのことではありませんが、普段のゴーストではそれができていないので相対的には良好と言えます。
■眼魔スペリオル
・ジャベルが変身した姿は眼魔スペリオルというそうです。
名前を見たときにカタカナでびっくりしました。全部カタカナにしてガンマスペリオルにしたりγスペリオルと書くと違和感が減るので字面の問題ですかね。
なんだかいかにも汎用的な印象を受ける名前ですが、追加幹部がクールごとに何人も出てきたり中盤以降は今週の怪人枠もみんなスペリオルになったりするのでしょうか。
次回の仮面ライダーゴーストは…、の前に次回予告の担当者を首にすべきだと思いました。あり得ないほど酷すぎました。
Q:西園寺の目的って何? A:全てを支配する力
Q:アイコンを奪われたタケルたちはどうなるの? A:取り返せます
Q:誰が願いを叶えるのか? A:タケルです
もう次回を見なくてもいいんじゃないかと思えるネタバレっぷりでした。
今回の本編の内容もぶっとんでいましたが次回予告は比べ物になりません。担当者の首も飛ばすべきだと思います。これで次回予告の内容が引っ掛けだったらいいのですが、そんなことはないのでしょうね…
自分の命と人の命云々の話は私も今更感が拭えませんでした。タケルのキャラ描写の掘り下げをろくにやってこなかった皺寄せが早くも出始めているような気がします。
返信削除アイコンの数はたしかにおかしいですね。妹を人質に取られたとき、マコトは間違いなくアイコンを4つ差し出していたので、私も最初は「え、変身できなくなるぞ、どうすんの?」と戸惑ってしまいました。今回15個揃うという展開が最初から決まっていたため、数あわせのためにこれまで触れられていなかった1個を急遽出した、としか思えないですが…
それから五十嵐博士の安否が全く触れられていなかったのが気になりました。もし生きてたのなら台詞で説明だけでもされるはずですし、たぶん亡くなった可能性が高いですが、劇中でそれを明確にしなかったのは規制の問題でしょうか。たしかに最近一般人が怪人に殺されるシーンはほぼ皆無ですが、流石にヒーロー物で死亡描写がNGというのはやり過ぎな気がします。無論人がたくさん死ぬ=名作という安直な考えもどうかと思いますが、怪人の脅威を示す上ではある程度必要だと思います。まあ、現状のゴーストの主な問題点はこういうのとは全く性質の違うところにあるというのは承知していますが…
命の話はかなりありふれた内容なのですが、そんなものを持ちだしてどんな面白みがあるのか不思議です。普通にやったら常識的な内容で終わってしまいます。
削除タケルにとって意味がある内容であればありふれていてもやる価値があるのですが、タケルの考えが全然わかっていないので今のところ価値が伝わってきません。
>私も最初は「え、変身できなくなるぞ、どうすんの?」と戸惑ってしまいました。
私も全く同じで「あれ?スペクター用のアイコンも偉人アイコンに含まれてるんだっけ?」と混乱しました。
確認したらいつも予告前にある「現在の所持アイコン一覧(仮)」にシルエットで一応4つ目が映っていました。でもいつ入手したのか全然覚えがありません。最初から持ってるなら使わないと変ですし、使う気がないなら西園寺の手持ちを1つ増やせば済むと思うんですよね。どういう経緯なのか謎です。
>それから五十嵐博士の安否が全く触れられていなかったのが気になりました。
五十嵐博士は触れられないままでしたね。
死んでても一向に構わないのですが、それならなぜ生きてるような描写を入れたのか不可解です。「生きている」という始まりを入れたなら「助からなかった」など結末を入れないと中途半端で気持ち悪いです。
怪人による殺人に関しては私もあってもいいと思います。
死ぬようなことをしたら人が死ぬのは当然です。直接的に描かなくても「手にしていた物が落ちる」など間接的に描く方法もいくらでもあります。それこそ特撮の十八番の”爆発”なんて曖昧にするにはうってつけでしょう。
ゴーストの場合であれば「肉体には傷がないけど眼魔の攻撃で魂が傷ついて~」など固有の逃げ道もあるはずです。
やらないならやらないで死には触れずにドラマを作る方法があると思います。どの方向性から考えても現状は煮え切らない態度のように感じます。
スペクターの4つ目の眼魂については、番組終わりの各ライダー所持眼魂が表示される際、少し前からシルエットで出てましたね。
返信削除ネタバレになるので詳しくは書きませんが、今後スペクターが使っていくのでしょう。
ただ、本来なら15個集まる話をする前に使用してほしかったですよね。
予告の手前には映ってましたね。
削除そのうち使うか入手経路の話をするのかと気に留めていませんでした。さすがにあれで説明したつもりになっているとは思えないので、どういった魂胆があるのか計りかねています。
タケルは「五十嵐博士を利用し、渋谷を操ったお前を許さない」と言ってたのに二人とも忘れてましたね。この前洗脳された集団の中から依頼人の関係者だけ確認しなかったうっかりがあってから特に被害者の扱いがひどい。被害者側のドラマは物語が進むにつれて戦闘前に片づけていくようになるのが慣例ですが、1クール目で安否確認すら省略するのは新記録です。五十嵐博士はたとえ生きていてもこんな信用できない主人公についていくぐらいならまた逃亡生活に戻るに違いありません。
返信削除「忘れてた」はギャグでいわせたんでしょうけどその陰で苦しんでいる被害者を忘れてはいけません。
色々と説得されても強硬論を繰り返すだけで頭が固すぎるマコト。どうやって独力で2個のアイコンを得たのか想像がつきません。こんな人が他人を誘導するなんて無理があり、かと言って2回も眼魔から横取りすればアランから文句が出ると見えるので、一番アイコンを集めにくくて駄々をこねている立場ではないかと。
ビリーは今回の銃撃戦でやっと銃独特の雰囲気を出していました。
次回予告やCパートネタバレではドライブの頃に「進之介死す!?」といった不謹慎なものに怒りを覚えましたね。戦いに臨む人物に向けての侮辱だと思いました。今回も同様で、失敗を宣告された西園寺の方に同情してしまいました。担当者は自らの処分を社内掲示されてはじめてこの気分が理解できるのではないでしょうか。
今回のタケルの言動は何だったのでしょうね…
削除元々そういう性格なら構わないのですが「人の命が~」とか言ってた直後にそれに反する行動をとられるとタケルを信用していいのか不安になります。どこに問題があるのかわかりませんが、こんな内容が脚本の打ち合わせに監督、役者さんによる多重のチェックを通ってしまうことが不思議です。誰も「これおかしくないですか?」と声を上げなかったのでしょうか。
>どうやって独力で2個のアイコンを得たのか想像がつきません。
マコトのアイコンの入手経路が語られないのは不思議ですよね。
マコトが人を殺しているのか、穏便に済ませている=性根は腐ってないのかを語る重要な要素だと思うのですが。アランたちからもらうにしても理由がいるでしょう。最初は持っていなかった4つ目のアイコンなんてその正体も入手経路も謎だらけです。
>ビリーは今回の銃撃戦でやっと銃独特の雰囲気を出していました。
そうですね。身軽な撃ち方でロビンフッドやエジソンとは違う雰囲気を出せていたと思います。従来よりずっとマシです。
>次回予告やCパートネタバレではドライブの頃に「進之介死す!?」といった不謹慎なものに怒りを覚えましたね。
そういえば前にも酷いのがありましたね。記憶から消去されていました。
時間的に考えて同じ担当者という可能性は充分ありえますね。センスないどころか迷惑なのは止めてほしいです。
ここまで引っ張った割に「自分も大事だけど他人も大事」という極めて当たり前のことを言われて逆に驚きました。2話くらいでやっておけばよかったんじゃないですかね。今までの不可思議現象研究所の活動はなんだったのかと思ってしまいます。自分と他人の命を比べるというテーマを最初から据えることでタケルのヒーロー像やマコトとの差別化が図れて話も作りやすくなっていたと思うのですが、販促に足を引っ張られたのでしょうか?
返信削除ジャベルはあっさり西園寺に眼魂を取られていてガッカリしました。普通にかませになりそうですね。
今回のアクションは割と楽しかったような気がします。一体なぜ登場回で出来ないのでしょう?商品を売りたいのかどうか疑問に思えるレベルです。
近年のネタバレを是ととらえる風潮は一体なぜなんでしょうね?それも盛り上げる程度でなく結果をただ見せるだけなのが不思議です。その割に過程や内容が薄いのがすごいです。
それと直接関係ないのですが。MOVIE大戦を見てきました。映画単体ならとても楽しく見られるかと思ったのですが、実際はテレビシリーズの中でもひどい話の部類に入る物でした。その中でも驚いたのは、ネタバレOPでもありましたが、本願寺課長と仙人で死をネタにしたシーンがあったことです。なぜゴーストで…と思わずにはいられませんでした。そのうえゴースト10話と話が繋がっておらず、もう数話先の時点での話のようでした。この映画を見る意味は無いのでお勧めしません。
>ここまで引っ張った割に「自分も大事だけど他人も大事」という極めて当たり前のことを言われて逆に驚きました。2話くらいでやっておけばよかったんじゃないですかね。
削除この内容を1クールの終わりに持ってきたのは驚きでしたね。
当たり前の内容から面白くするのは非常に難しいことです。これまでのゴーストで一番挑戦的な姿勢に感じました。これで上手く着地できたら福田さんを見直します。
>ジャベルはあっさり西園寺に眼魂を取られていてガッカリしました。
あのバリア強かったですね。ジャベルまで吹っ飛んで変身解除させられるとは予想外でした。西園寺が裏切ってもやってけると自信を持つだけの性能でした。登場したばかりのジャベルまで弱く見せるのはどうかと思いますが。2人だけで充分だったと思います。
>今回のアクションは割と楽しかったような気がします。一体なぜ登場回で出来ないのでしょう?
アクションのムラは不思議ですよね。
まるで何もしない回と工夫が見られる回と両極端です。予算の問題ならわかるのですが普通の格闘戦や新アイテムの販促がおろそかになるのは不可解です。話はともかくアクションは良いのが戦隊とライダーの長所だと思っていただけに近年のライダーのクオリティはショックです。
>それも盛り上げる程度でなく結果をただ見せるだけなのが不思議です。
これが不思議ですよね。
煽りといったら「主人公のピンチ!さぁどうなる!」とか場面の手前で止めるのが基本のはずです。肝心の結果を見せてしまったら全然煽りにならないと思います。これで見せたのがいかにも面白そうな場面だったらまだわかるのですが、特にひかれるものはありませんでした。ネタバレ以前に全く感心をひかれない内容に困惑しました。
>本願寺課長と仙人で死をネタにしたシーンがあったことです。なぜゴーストで…と思わずにはいられませんでした。
そうなのですか? それはとても不可解ですね。
タケルやマコトの妹など半分死んでる人間がいる作品で茶化すとは信じられないことです。いくら脚本家が全く本編と関係ない人だからといってそれはあんまりですね。そんな内容が通ったことが理解に苦しみます。
ただ、内容には期待していないのですが一応見ようと思っています。本編と関係ない上にドラマ畑の人を連れてきたらどんな作品になるのかという点に興味があるからです。脚本家がどうするかというより「変わらない部分はどこか?」という点に感心があります。
ノルマから監督、プロデューサーと作品づくりには脚本家以外に様々な要素が絡んでいます。逆に考えれば脚本家を除けば残りの部分がある程度視認できるのではないかと企んでいます。