『宇宙戦隊キュウレンジャー』 第24話「俺は戦う盾になる!」:感想
【ストーリー】
・今回は予告でやっていたとおり、ラッキーとツルギが和解するお話でした。
私は話の流れにノレませんでした。「こんな感じで仲間になっちゃっていいの?」と見ている間、首を傾げていました。
・まずラッキーが馬鹿で確定してしまいました。
仲間はツルギは悪いやつじゃないとか言っていることに裏があるとか私と同じ解釈をしていたのに、ラッキーだけ執拗に「あいつは悪いやつだ! あんなやつと組めるか」と1人で思い込んでいました。かと思えばショウ司令にあっさり説得され、ツルギの事情を聞いたらこれまた手のひら返しで態度が変わってかっこ悪かったです。
このタイミングでラッキーが「救世主」を連呼していたのはマイナスだと思います。こんな救世主じゃ不安です。
・前回と今回のタイトルである「俺様の盾になれ」、「俺は戦う盾になる」のキーフレーズも使われ方が微妙でした。キーフレーズのつながり自体は普通で問題ないのですが、前後の言動が噛み合っていないように感じました。
・まず文字通り盾になって死んだ先代の戦士との対比がマイナスに働いているように感じました。
先代は変身する力もないのに戦って身体を張って盾になったのに、ラッキーは盾キュータマで安全に守り、変身までしています。盾になったからラッキーも盾だと言われても同列には見づらいです。先代の犠牲を軽んじているように見えてしまう部分があって微妙でした。入れる話数をずらすとか対策が必要だったと思います。
・個人的には盾キュータマは使わずに受け止めて「俺たちには戦う力がある。だから俺たちは死なない!」とガルに語りかけたときに絡めた展開のほうが良かったんじゃないかなと思いました。
かつての戦いでツルギたちが変身もボイジャーも使わずに戦っていたことが不思議でしたし、「かつての戦いの時点では変身もボイジャーも理論はできていたけど完成が間に合わず、オライオンたち生き残った戦士たちが完成させて未来に託した」ということにすれば、「過去の仲間から託された新しい力と今を生きる新しい仲間で戦う」という構図になってすっきりまとまったのではないかと思いました。
描写に時間がかかって一話に収まりそうもありませんが、ツルギとの和解は重要な部分だと思うのでもう少し話数をかけてやっても良かったと思います。
・共闘が始まった後の展開は酷すぎました。
「俺がやる!」「いやいや俺がやる!」「じゃあ俺が!」「どうぞどうぞ」というダチョウ倶楽部ネタに、「盾にするなんて酷いやつだな」「お前が言うか!?」といい、空気読めなさ過ぎでした。どうして盾になるという言葉に重みを持たせた後にこんな茶化すような内容を入れるのでしょう。正気を疑います。
■そんな話だったのか
・今回はいろんなところでスタッフと解釈が合わないなぁと思うところがあったのですが、今回の東映公式ページの文章を見て驚きました。
本来、仲間と共闘する場合の盾とは、全員で一枚岩となって守りきるということを意味するはず。
しかしツルギは盾の使い方を自分の矛のためだけに使おうとするという、こじつければ、戦い方の矛盾ゆえ対立していたのです。
・スタッフの公式解釈ではツルギが悪者だったとはびっくりしました。
私は「ツルギは全然悪くない。つっかかってるラッキーがクズなだけ」という印象だったので真逆の解釈に驚きました。
・文章を読んでも「しかしツルギは盾の使い方を自分の矛のためだけに使おうとする」という箇所の意味が全然わかりませんでした。
私は正しく理解できていなかったようです。私にはツルギは自分の矛のためだけに使おうとするどころか、危ないから止めておけと積極的に危険から遠ざけようとしているように見えましたが間違いだったんですね。
■キュウレンジャーライセンス
・店頭キャンペーンの販促を入れてありました。
今回も普通でした。 ツルギと仲間になった印として使うのは良い考えだと思いました。
・一方、「キュウレンジャーだと証明するためのライセンス」という部分は疑問に感じました。救世主なんてものは行動で示すものであって、ライセンスを持っているから救世主、持ってないから救世主じゃないなんてものではないと私は思います。
元商品がライセンスを名乗っているから仕方がないとはいえ、何か上手い解決策はなかったのだろうかとすっきりしない印象が残りました。
【アクション】
・予告で映っていた印象だとギガントホウオーを組み替えただけかと思っていましたが、キュウレンオーとの二体合体でした。同じ赤だからパッと見だと気づかきませんでした。
・敵より大きいのはそれだけで強そうに見えますね。
しかしアクションは早速壊滅的でした。やっぱり動けないですね。立ってる姿も背中が重そうで、後ろに引っ張られてるように見えるところもありアクションは期待できそうもありませんでした。
生身アクションは年々右肩上がりの戦隊シリーズですが、複数体合体の巨大ロボは進歩がありません。戦隊スタッフとはいえ造形の問題は無理なのでしょうか?
次回は小太郎回のようです。
個人的にはスティンガー関連で充分出番があった印象なのですが、ここでまた入れるんですね。メインターゲットである子供に最も近いキャラクターなので夏休み回には入れておきたいのでしょうかね。
今回はそんなにおかしくない…と思ったら東映公式コメントでハァ?ってなりましたね…。多分いつもの本編でのとんち回答のように最後の「矛盾」という言葉を絡めて盾と矛という文を作りたかっただけなのではないかと思えて仕方ありません。私もツルギが仲間の存在を軽んじていたわけでは断じてないと思い込んでいただけに残念です。
返信削除というかこの一文の書き方が悪印象が過ぎると思います。実際はツルギの過去を聞いたラッキーが「あんた、仲間を犠牲にしたくないんだな…」「あんたが死んだら盾になった奴らが無駄死にになるんだぞ!」「俺はあんたの盾になるが戦う盾だ!」と言っていました。すごく単純に言ってしまえば「一人で突っ走らずに対等な立場で一緒に戦おう」という話だったと思います。むしろツルギが仲間を想っていた事をある程度把握した上で、見方を変えてみろという趣旨の発言だったと思います。でもこの一文だけだとまるでツルギの人格的に問題があるように見えてきますね…。
今回上記のコメントが気になって初めて東映公式ホームページのコラムを読んだのですが、ラッキーの発言は「ラッキー語録」と呼ばれているのですね。やはりラッキーのとんち発言は意図的に名言を作ろうとしてやってたんだなぁと思って、個人的にはがっかりしました。名言って展開の中で状況にあった上手い発言として自然と生まれるものだと思っていたので…。名言を生むことが先行して、それを言うに至るまでの展開は後付けで作っているのではないかと思うと妙に腑に落ちました。なんだかキュウレンジャーは壮大なスケールのわりに、小手先の言葉に振り回されている印象が強いですね。
>多分いつもの本編でのとんち回答のように最後の「矛盾」という言葉を絡めて盾と矛という文を作りたかっただけなのではないかと思えて仕方ありません。
削除私もたぶんそんなところだろうと思います。ですが元々首を傾げるような内容だったところに公式解釈として出されてしまうと無視できません。
>すごく単純に言ってしまえば「一人で突っ走らずに対等な立場で一緒に戦おう」という話だったと思います。
元々その辺が私にはよくわかりませんでした。
そういう話なのかと考えようとするとラッキーの独断わがままっぷりが障害になるように思えてきます。1人で突っ走ってたのはラッキーもいっしょだと思うのでそんなラッキーがツルギを説得するのは奇妙だと思います。司令やスパーダが2人まとめて説得するのならわかりますが。
>名言って展開の中で状況にあった上手い発言として自然と生まれるものだと思っていたので…。名言を生むことが先行して、それを言うに至るまでの展開は後付けで作っているのではないかと思うと妙に腑に落ちました。
舞台裏を知って萎えるという気持ちはわかります。
ただ、作る側の姿勢としては当然のことではないかと思います。まず中核になる部分を考えてからそれに合った前後の流れを考えるのは創作では至極当たり前のことだと思います。中核になるものが「名言」であることも有るでしょう。
単純にキュウレンジャーの構成が上手くないから違和感が大きいだけではないかと推測します。
確かに“話を通して伝えたいメッセージ性”を具体化したものとして“名言”が使われているのならそこが先行して話が作られてもおかしいことではありませんね。いささか思慮が足りませんでした。
削除ただやはりそう思ってもラッキー語録は良い印象になりません。おっしゃる通りラッキーを名言メーカーにするには経歴や実際の行動での説得力がかなり足りないですし、そのせいで何だかラッキーが「(ライターが考えた)名言を言うために作られ存在するキャラ」「名言スピーカー」に見えてきています。
キャラの発する言葉として名言を発信したいのであれば、その名言を言うにふさわしい人物設定の土台作りを始めるのが当たり前だと思うんですが、ラッキーはとにかく名言を言わせる事に執着してる感じで土台作りが軽薄なので上滑りしてるんですよね。加えて土台作りが軽薄なのはキュウレンジャー全員の共通問題に見えるので、そんなところに執着するより土台作りをちゃんとしてほしいと思ってなりません。何より只の脚本家のスピーカーだとヒーローとしての人間味が感じられないので…。
>キャラの発する言葉として名言を発信したいのであれば、その名言を言うにふさわしい人物設定の土台作りを始めるのが当たり前だと思うんですが、ラッキーはとにかく名言を言わせる事に執着してる感じで土台作りが軽薄なので上滑りしてるんですよね。
削除同感です。
中核になる部分に必要な前後の流れには設定や状況だけでなく、キャラクターの積み重ねも重要だと思います。ラッキーは元々わかりづらいキャラクターな上に方向性が見えてこないため名言の唐突な感じが余計に強まっていると思います。
単純な疑問なのですが、白い枠に囲まれた文章はその公式サイトの文章を引用した形になるのでしょうか。それでしたらどこかにURLなどをのせたほうが良いような気がします。
返信削除これ自体が「blockquote」という引用のために使われるHTMLタグです。見る人が見れば引用であることは一目瞭然です。
削除URLに関しては、「今回の東映公式ページの文章」と直前に明記して原文そのままの抜粋にしてあるのですが、これでは不充分だとお考えだということでしょうか?
ブログというものを作ったことがないので知らずに書き込んでしまいました。こちらの知識不足です。引用時に使えるタグというのもあるんですね。
削除話は変わるのですが、キュウレンジャーの映画は見に行かれたのでしょうか。もしくは見に行く予定はあるのでしょうか。
>引用時に使えるタグというのもあるんですね。
削除ブログの作ったことのない人は普通知らないと思います。
私も使ったことのないタグのことはあまり知りません。
>キュウレンジャーの映画は見に行かれたのでしょうか。もしくは見に行く予定はあるのでしょうか。
結論から言うと、今のところ見る予定はありません。
見るとしても私は映画館が嫌いなのでレンタルや配信が始まってからになるでしょう。アクションもストーリーも特に見たいというモチベーションがないので、今のままだと気が向かない限りは見ないと思います。
おはようございます。昨日本屋でキュウレンジャーのキャラクターブックを読んだらナーガのキャラソンがバランスとセットになる可能性があるような文が書かれていました。山崎さんと小野さんのふたりで一緒に歌いたいねって書かれていました。スティンガー司令小太郎はソロ曲なのに…。
返信削除それとDVDは2巻までジャケットが決まっていて、1がラッキーで2がスティンガーでした。キャラソンもDVDジャケットもナーガはバランスとセットにされそうで怖いです。ナーガひとりだけの歌声が聞きたいのに困ります。結局ナーガは最後までバランスのおまけ扱いで終わってしまうのかと思うと悲しい気持ちです。
こんにちは。
削除>結局ナーガは最後までバランスのおまけ扱いで終わってしまうのかと思うと悲しい気持ちです。
セットなのでどうにもならないと思います。
逆にバランスが好きな人にとっては「ナーガも子守と他キャラへの相づち係にされて、バランスの話がちっともない!」と思っている人もいるでしょう。
>いろんなところでスタッフと解釈が合わないなぁ
返信削除どうも、スタッフが見せているつもりのものと、見ているこちら側の受け取り方の間にギャップを感じることが多いですね。スコルピオ編の兄弟の解釈もそうでしたし、一番深刻なのはラッキーのキャラではないかと思うのですが。
スタッフさんはまさか、ラッキーを口では立派な啖呵を切るけれどその後の言動を見ると無責任で心ない屑だと受け取っている視聴者がいるとは思いもよらないんでしょうかね。前回もラプターを故障させたとツルギを罵倒した後、ラプターを放置して帰り、今回もこんなで。
思えば最初の頃、ラッキーの「戦うか、さもなくば死か」を自分にも他人にも課すかのような苛烈さにおびえたものですが、それに相通じるようなツルギの「犠牲もなく〜」を真っ向から否定したということは、スタッフの描こうとしていたラッキーは本当はもっと違うキャラだったのでしょうか。まあ、今となってはもうどちらでも良い気もしますが。
ちょっと思ったのは、毛利さん、下山さんほどでないにしろ、やはり1人で書きすぎなのでは?と。
それまで多くても1番組6話くらいしか書いたことがないところからいきなりメインで、戦隊側のキャラだけで12人、プロデューサーも新人の方、とただでさえ大変なところに、これまで24話中21話ですか?たしか同時期の香村さんより3話多いのではなかったかと。
>一番深刻なのはラッキーのキャラではないかと思うのですが。
削除私はラッキーの価値観は未だによくわかりません。
最近の行動は序盤の頃と食い違うように感じるところが多く、どこで筋が通っているのか測りかねています。
>毛利さん、下山さんほどでないにしろ、やはり1人で書きすぎなのでは?と。
そうですね。本編で3話除いて今のところ全部で、今上映してる劇場版は下山さんだったらしいですが。
減らしたほうが良いだろうとは思いますが、1話の頃から引っかかる部分はあったので時間に余裕を持たせても根っこの部分はあまり変わらないのではないかと私は思います。