『手裏剣戦隊ニンニンジャー』最終回まで見終わって:総合感想

2016年2月7日
『手裏剣戦隊ニンニンジャー』を最終回まで見終わっての全体感想です。




【一言まとめ】

・アクションは良好
・ストーリーは理解不能
・オリジナリティは???


【良かった点】

■安心の忍者アクション
・アクションは良かったです。
ここ数年の戦隊のアクションは右肩上がりで来ましたがニンニンジャーでもそれは変わらず上り調子でした。

・忍者といえば身軽な身のこなしに刀と忍術など元々アクション向きな要素が揃っています。
ニンニンジャーでは共通装備が刀とハンドガン、更に「刀・弓・爪」に変形するマルチ武器と扱いやすい装備が揃っていました。他の戦隊と比べてもアクションにとってはかなりの好条件で伸び伸びとした動きを楽しむことができました。これといった独自要素はありませんでしたがそれでも毎回アクションを楽しみにできるほど高いクオリティを保っていました。というかアクションだけが私の心の支えでした。

■巨大戦なのに身軽なアクション!
・ニンニンジャーの最大の見どころはここだと思います。
シノビマルとロデオマルの巨大戦は毎回ワクワクしました。シノビマルとロデオマルはそれぞれ1号ロボ・2号ロボの主要パーツであり、単独でもレッドと追加戦士(スターニンジャー)の人型ロボとして動けるゴーバスターズのゴーバスターエースのようなロボのことです。

・巨大戦といえば、肩が回らない、脚が上がらない、っていうか歩けないからスライド移動と動けなくて当たり前です。
ところがシノビマルとロデオマルは驚くほどに身軽でした。ダッシュにジャンプ、果ては前転飛び込みまでやってのけました。これは衝撃的でした。セットの中を所狭しと駆けまわる姿は従来の巨大戦のイメージとかけ離れたものでした。

・残念ながら出番は多くありませんでした。単独商品ではなく、あくまで1号ロボ・2号ロボのパーツなので仕方ありません。
しかし出番は少ないながらも「今回は出番があるといいな~」と期待したくなる魅力がありました。単調になりがちな巨大戦に一石を投じたという点で高く評価しています。ロボの仕様によるので毎回できることではないと思いますが、定番化してくれると嬉しいです。


【残念だった点】

■ストーリー展開
・私は作品を読み解くことというのは作者との対話であると考えているのですが、ニンニンジャーに関しては対話以前に言葉が通じないように感じました。通常の作劇や常識とかけ離れていて理解不能でした。面白い、つまらないの以前に「今何の話をしているの?」と思うことばかりでした。
私では評価のしようがないため、以下に実例を挙げていきたいと思います。


「個人回のはずがなぜかレッドが締める」
・ニンニンジャーではレッドが活躍することが多かったです。それ自体は大して珍しくないのですが、ニンニンジャーの異様な点はそれが他のキャラの個人回であってもレッドが締めることが度々あるという点です。

・たとえば40話です。「天才タイプのピンクが前回敵幹部に負けたせいで自分を見失う」というお話で、中盤にレッドが「調子が悪いときは仲間に頼ったっていいんだぞ」とアドバイスしてピンクが立ち直ります。
ここからが問題です。後半のバトルでレッドがその回の怪人、貧乏神の攻撃を受けて”見た目も攻撃もしょぼくなる”という呪いをかけられてしまいます。炎の忍術を使ってもマッチみたいな火しか出せなくなってしまいました。そこに駆けつけてくる仲間たち。
そこでレッドの取った行動は… 「スーパー化してゴリ押しする」でした。仲間を頼れと自分で言っておきながら自分はパワープレイで乗り切ってしまい、ピンクはそれを見ているだけでした。でも何だか丸く収まったような雰囲気でその回は終わりました。

・普通だったらその回の主役が活躍すると思うところでレッドが全部持っていく、そんなことが度々ありました。販促の関係でトドメをレッドの専用武器で倒すことなら珍しくありません。しかし話のオチまで持って行ってしまった例は覚えがありません。これがボウケンジャーやシンケンジャーのようにレッドが他のメンバーよりも格上の存在として扱われているならまだわかります。しかしそうではありません。

「レッド偏重に見えるのに、お題目は6人での競争」
・ニンニンジャーの目標は「偉大な忍者である祖父の持つ称号”ラストニンジャ”を継ぐこと」です。そのために”ラストニンジャレース”と称して、メンバー6人(追加戦士一人込み)で競争を繰り広げていきます。
お題目はこうなっているはずなのに実際には上記の例で挙げたとおり、レッドだけが飛び抜けて優遇されています。競争を成立させるためには6人それぞれに長所がないといけないのに活躍するのはいつもレッドばかりでした。始めだけの死に設定かと思いきや、作中では途中経過だの負けないぞーだのと頻繁に競争である点が強調されていました。でも活躍するのはレッドばかりです。

・最初の幹部を倒したのもレッド(敵からはレッド以外は雑魚扱い)。2クール目で獲得したスーパー化アイテムも途中までレッド専用。3クール目の3号ロボもレッド主導で実用化。
もうレッドに任せればいいんじゃないかしか思えない状況がずっと続いてきました。それでも最後まで台詞では6人であることを強調し続けました。

・こうなると「戦闘以外にも評価項目があるのでは?」と思われるかもしれませんが、強さ以外は特に認められる様子がありません。そもそもラストニンジャであるお爺さん自体が、偏屈で戦い以外にはあまり適性がなさそうに見える人物です。また終盤に明かされた称号継承の条件が「先代殺し」であったため、結局強くなってお爺さんに勝つ必要がありました。黄色の長所は「気配り名人」で、白の長所「明るく元気なこと」と言われていましたが、そんな二人にはレースへの参加資格すら始めからなかったでしょう。

・物事がレッドと祖父を中心に動いているのに仲間を強調する姿は明らかに矛盾しているように見え、理解しがたいものでした。レッドを中心にするなら始めからレッドを格上として扱い、6人での切磋琢磨を主軸にするなら個人回でレッドが目立つことはあり得ないはずです。いったいどんな一貫性に支えられていたのか、未だに想像もつきません。

「親子三代のはずが父親が空気」
「親子三代」がニンニンジャーのキーフレーズの1つでした。親子三代とは祖父(ラストニンジャ)・父(一般人)・孫(主人公のレッド)の3人のことを指しています。他のメンバー5人は親戚3人、ただの弟子1人、そして妹(シロニンジャー)です。
…お気づきのとおり主人公には妹がいるのですが親子三代には含まれません。もちろん親戚の3人や赤の他人は当然含まれません。つまりテーマの1つからしてレッド以外を除け者にしているのです。ちなみに妹は血がつながっていないとかそんなことはありません。本当の親子、兄妹です。

・ここまでなら「まぁ、親子三代はサブテーマで、メインはラストニンジャレースだから」と言えるのですが、サブとして考えても構成が破綻しています。父親が空気だからです。
父親は子供時代は天才忍者だったが10代の頃にある事情により能力を失い、忍者を諦め普通の人生を送ってきたという設定です。こういう設定なので主人公たちの師匠にもなれず、メカニックでもなく、何の取り柄もないただの”主人公の父親”でしかありませんでした。当然出番は少なく、メインで扱われたのは47話中たったの3話でした。

・そんな存在感の薄い扱いでありながら親子三代という要素は提示され続けました。
45話ではついに「親子三世代!ニンジャ全員集合」とタイトルにもなって、祖父・父・孫の親子三代揃い踏みでの変身をやりました。その結果は、別に強くはない父親を放置し他のメンバーも蚊帳の外にして、祖父と孫のレッドだけで戦う酷い有り様でした。

・ラストニンジャレースといい、親子三代といい、死に設定にせずに実行する気があるはずなのに、なぜこんな投げやりな状態になるのか理解できません。やりたいのかやりたくないのか、どっちなのでしょう!?

・ニンニンジャーのストーリーは根幹設定がこの有り様なので、ストーリー展開はもっと複雑怪奇です。考えれば考えるほど前後のつながりがわからなくなっていきます。「ここがおかしい」とかいうレベルではないので、ここでは詳細には触れずにおきます。詳しくは各話感想を見ていただければ私が如何に理解するのに苦しんだかご確認いただけると思います。


■棒読み+口癖=地獄
・ニンニンジャーを語る上で役者さんを外すわけにはいきません。
私は普段は役者さんに関しては触れないことにしています。戦隊が初舞台の若手も多く、下手で当たり前だからです。
しかしニンニンジャーは特別です。特別酷かったです。レッドが酷い、ブルーが酷い、他の3人もけっこう酷い。棒、棒、棒の棒地獄でのけ反りました。ここまでゲキレンジャーやゴーオンジャーなども耐えてきましたが、ニンニンジャーは無理でした。

・ニンニンジャーの場合、役者さんの滑舌が酷い上にキャラの口癖があったことが問題でした。
レッドの「燃えてきたー!!」「熱いな、これ!」やブルーの「easyだな」など、キャラごとの口癖が頻繁に使われていました。棒読みと不自然なキメ台詞の相乗効果で毎回甚大なダメージを受けました。普通に笑えない酷さだったことが堪えました。おかしいと思う以上にイラつく効果のほうが高く、理解しがたい内容と相まってストレスを感じました。

・最後まで演技が劇的に良くなることもありませんでした。
シリーズ構成の下山さんには否定的な私ですが、この役者さんの問題だけは同情します。


【総合感想】

■なぜベストを尽くしたのか
・シリーズ構成の下山さんは特撮のシリーズ構成の経験はこれが初めてでした。
元々ベテランのようには上手くはいかないだろうと思っていましたが、この出来上がりは想像の遥か上でした。ニンニンジャーにおいて下山さんがどの回を担当したかというと、ほとんどです。47話中39話を執筆されました。ほぼ一人脚本と言ってもいいくらいですね。量としては大したものです。

・ですが私としては「なぜベストを尽くしたのか」と言いたいです。
途中で無理だと判断する勇気を誰か持っていなかったのかと思ってしまいます。どうしてローテーションを組むかと言ったら、量の問題以上にクオリティを保てないことが問題だからでしょう。がんばるのはいいですが、下山さんはがんばる方向が間違っていたと思います。

・結果としてはシリーズ構成としての経験も積めなかったのではないかと思います。
ほぼ一人でやってしまったので他の脚本家さんへの指示を出す機会も少なく、他の脚本家さんの書いた内容を自分の担当回に反映することもほとんどなかったでしょう。今回の反省を次に活かす…、というのも難しいのではないかと思います。

■解読不能
・私の最終的な印象は「解読不能」でした。
内容が無いということはないのですが、何のために何をしているのかを理解することは困難でした。面白くもつまらなくもなく、ひたすらにわからないことだらけでした。どんな人にはオススメとも、こんな人にはオススメできないとも言えない作品です。私が言えることは「疲れるぞ」ということくらいです。波長が合う人か魔境に飛び込みたい人でもなければオススメしません。



コメント

34 件のコメント :

  1. 記事作成お疲れさまです。
    個人的なニンニンジャーへの評価は「やりたいことは分かる」ですね。上手く仕上げていたとは言えませんが、一応「自分たちで新たな道を作っていく」というテーマが中盤以降に示されたので、それがキーワードだったのかなと。目新しいテーマとは言えませんし、台詞以上の要素で見せられていたわけではないですが。

    結局序盤がイマイチだったのが最後まで響いてしまいましたね。後半になって色々と盛り上がりそうなポイントが有りましたが、積み重ねのなさで説得力が薄いという事態になってしまいました。単体で見ると問題ないのですが、連続ドラマとして見ると違和感が大きかったです。
    ニンニンジャーのメンバーって動機が薄いんですよね。風花や霞はなんとなくラストニンジャレースに参加した節すらありますし。
    もちろん最初の動機が弱くても、それはそれでドラマとしては美味しいです。人々を守るよりラストニンジャを優先していたのが、みんなを守りたいという気持ちに目覚めていくというのは王道でしょう。実際、序盤では「人々を守る」とか「五人の絆」とか、ありがちなワードがほとんど出されずに物語が進行していきました。だから勝手に、そのうち変化が生まれるのだろうと思って見ていたのですが、中盤以降、いつの間にか「みんなを守る」というフレーズが使われるようになりました。脳内で、メンバーに変化が生まれたのだと補完することは可能ですが、納得いかないものを感じました。
    とはいえ、積み重ね次第で良くなる内容だとも思ったので、下山さんには時間をおいてもう一回メイン脚本を担当してもらいたいです。今度は本人も慣れて、持ち味が出せるかもという期待を込めて。

    今更言うまでもないことですが、アクションは素晴らしかったです。忍術に魔法にとバラエティに富み、チームワークを感じさせるアクションが何度もありました。これだけでも見る価値はあると思います。また、ロボではなくアカニンジャーが巨大化したり小さくなったり、面白い演出がありました。
    巨大戦も消化試合ではなく、工夫がありました。軽快に動くシノビマルが映像にアクセントを加え、一話から引き込まれました。。まだまだ新しい演出の余地はあるのだと感心しました。今後の戦隊に期待を持てる戦闘を一年間やってくれて嬉しい限りです。

    最後に、私はそんなに繰り返し視聴したわけではないので、ドラマへの見方は誤っているかもしれません。長文失礼しました。

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    1. >一応「自分たちで新たな道を作っていく」というテーマが中盤以降に示されたので、それがキーワードだったのかなと。

      私はここも謎に感じています。
      そういった一面があったのは確実だと思います。しかしテーマではないように思うからです。なぜかというと、序盤から提示されていて、かつ終盤でも変化がなかったと思うからです。

      提示自体は序盤からことあるごとにされてきました。
      天晴の「イケイケドンドン」は説明するまでもなくマイペースの表れですし、八雲の「魔法忍術」、霞の「機械」など忍術や忍者の自己流の解釈は最序盤からありました。そして2クール目の獅子王との交流、3クール目のゲキアツダイオー、4クール目の九衛門の伊賀崎流封じ。自分たちのやり方という視点は何度となく出てきています。

      しかし何も変化がないと思います。テーマと呼ぶにしてはあまりに盛り上がりや面白みに欠けるように見えます。テーマというよりはコンセプト止まりのように私は感じます。ギャグ調やシリアスのように「型にはまらず、明るく元気に解決するのがニンニンジャーです」くらいの指針でしかないと考えます。「忍びなれども暴れるぜ」もそういった類だと思います。

      それ以外にもテーマだとすると
      「最後にラストニンジャという既定路線にこだわったのはなぜ?」
      「ラストニンジャの象徴たる終わりの手裏剣を使って解決するのは自己流とはかけ離れた行為のはず、最後の最後で反する行為を取るとはどういうことか?」
      「風花やキンジの自己流って何だったかな…?」
      などなど食い違うように感じる要素が多々あることも疑う理由の1つです。

      >今度は本人も慣れて、持ち味が出せるかもという期待を込めて。

      まだ一作目なので何とも言えませんが、私は下山さんが根本的に変わらない限り望みは薄いだろうと思っています。
      理由は下山さんの発想に問題が有るように見えるからです。「読み手がどう思うか」という基本がなっていないように思えます。
      ラストニンジャの偉大さ、開始時点での6人の関係性と各自の考え、その他の理解しがたい前後関係など「下山さんはわかってるけど、視聴者には伝わっていない」ことに起因することがニンニンジャーの主だった難点だったと私は考えます。

      「中だるみが多かった」「エンタメ性に欠け、説教臭い/淡々としていた」「内容が薄く、4クール保たなかった」「前振りが足らず、唐突に見えてしまった」「役者さん、撮影関連など脚本の外の不一致」
      などなど、こういった問題であれば慣れと反省によって解消できると期待できますが、根本的な問題となると私は懐疑的です。少なくとも私では「どこを改善したらニンニンジャーは面白く、わかりやすくなったのか?」という疑問に具体的な答えを出せません。

      >忍術に魔法にとバラエティに富み、チームワークを感じさせるアクションが何度もありました。これだけでも見る価値はあると思います。

      アクションは実に素晴らしかったですね。
      シノビマルを除くと、従来のシリーズでもある珍しくない要素ばかりだったのに毎回ワクワクするアクションを見せてくれました。質も良く、バリエーションも豊富で言うことなしでした。

      >軽快に動くシノビマルが映像にアクセントを加え、一話から引き込まれました。。まだまだ新しい演出の余地はあるのだと感心しました。

      シノビマルの動きは本当に驚かされましたね。
      CGやジオラマではなくスーツアクターさんでやってくれたことが私は嬉しかったです。ゴーバスターエースみたいなのも良いですが、スーツアクターさんがやってこその戦隊でしょう。シノビマルの路線だけでもまだまだ開拓の余地がある感じがして、今後の戦隊への期待が増えました。

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  2.  今作、スーパー戦隊について言えることは、褒めるところもあれば、?の部分も沢山あったというのが第一印象でしたね。筆者氏同様、巨大戦でのヌルヌル動くのは今までになく新鮮でした。今までは関節部の稼働に無理があったため、カニ歩きのような動きがパターン化されていましたが、あそこまで動くのはとても良かったです。また変身後の戦闘シーンも動きにメリハリがあり、『これぞ忍者アクション』と呼べるものでした。レッド役のスーツアクターの方がトッキュウジャーで第一線から退いたため、今作ではまた新しいレッドの動きを期待していましたが、無難でしたね。
     役者さんたちの棒読みや滑舌の悪さ(特にレッド)は酷かったですが、彼らもまだ役者としてスタートを切ったばかりと思えばいいのかもしれません(今後の成長に期待と言うことで)まぁ山形ユキオさんが登場したときは、キャラ濃すぎだろと思いましたが、主人公たちがアッサリ系な顔立ちに対比するように濃いキャラクターは印象に残るのが制作の意図なのでしょうか?
     シナリオの部分だとレッドのゴリ押し感はイタダケナイデスネ。各キャラクターを主役に持ってきているのに最後はレッドで締めるのはどうかと、もしこれがシンケンジャーみたくレッドを頭領としてシナリオが組まれていたらガッチリと合うと思うのは私だけでしょうか?
     総評としましては、色々と荒削りな部分もありましたが、そう悪くはないと思います。最低の基準をゴセイジャーとしているのでそれに比べればましだと思います。

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    1. >レッド役のスーツアクターの方がトッキュウジャーで第一線から退いたため、今作ではまた新しいレッドの動きを期待していましたが、無難でしたね。

      際立った個性はまだ感じませんでしたが、前より明らかに見劣りするということがなかったので今はそれで充分かなと私は甘めの評価にしています。

      >主人公たちがアッサリ系な顔立ちに対比するように濃いキャラクターは印象に残るのが制作の意図なのでしょうか?

      山形ユキオさんは何だったのでしょうね?
      玩具の音声だから本人が何度か出るのはわかりますが、あんなに長く出続ける必要性を感じませんでした。固定ファンが多いのでしょうか?
      濃くするなら天晴のお父さんや幻月を濃くしたほうがよっぽど効果があったように思います。

      >もしこれがシンケンジャーみたくレッドを頭領としてシナリオが組まれていたらガッチリと合うと思うのは私だけでしょうか?

      レッドが格上として認められてる構造だったら、違和感はだいぶ減ったでしょうね。
      そうなると6人の関係性がでたらめになって現状のストーリーは完全に破綻するでしょうが。この不一致はいったい何がどうなってこうなったのでしょう?
      「ラストニンジャ=たった一人で戦うべきだと主張する爺ちゃんに対し、孫の天晴は自分よりも未熟な5人と協力して戦うことを選んだ」なんて話だったら現状の流れに近いままいけそうですが。

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  3. この作品は「開き直り」と「テコ入れ」を重視していますので、制作者側が面白いと思えは設定もどんどん変えていきます。これが前提でないと楽しめない作品なのです。これまでのスーパー戦隊とは構成が違うと思った方がいいです。それに酷な話ですが、メイン視聴者の子供たちは深くストーリーを考えません。ストーリー構成では粗が目立つと思いますが、1話1話で見ていくと頭を使わずに楽しんで観ることができると思います。わかりやすいパロディネタも多いですし。役者さんの演技は初期から観ると相当上達していますよ。最初から上手い人と比較するとどうしても下手に見えるものです。父親は確かに空気気味ですが、活躍するのが孫たちなのでしょうがないとは思いますが、それでも要所要所で活躍はしていました。私はこの作品はニンニンジャーの物語ではなく「十六夜九衛門の物語」と捉えています。彼の視点から物語を観るとまた違った視点で楽しめると思いますのでお勧めですよ。

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    1. >この作品は「開き直り」と「テコ入れ」を重視していますので、

      私には全く理解できない価値観です。
      私にとってその2つは「失敗したときの言い訳」でしかありません。テコ入れに関しては『仮面ライダー響鬼』くらいのテコ入れであればやむを得ない事情と判断しますが、ニンニンジャーにはそんな規模のテコ入れはありませんでした。激熱刀など販促自体も適当なところがありましたから悩んだとすら思えません。

      >私はこの作品はニンニンジャーの物語ではなく「十六夜九衛門の物語」と捉えています。

      どこからそう判断されたのか実に興味深いです。
      前提になる爺ちゃんは考えも行動も描かれず、過去の様子も最終回であっただけなのに九衛門が主役だったとは全くもって驚きです。

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    2. 横やり失礼致します
      作品に真摯に向き合ったまとめをありがとうございます

      この作品は「テコ入れ」重視という話がありましたが、実際に製作陣が記者発表時に掲げていた番組への意気込みだったんですよね

      下山氏インタビューによると毎回戦隊の枠にはまらない娯楽作品を目指し製作していたそうです、また回想シーンはいくらでも取って付けられるので描写しないという制限もかけられていたとそれがこれまでのシリーズにない「テコ入れ」ということだったのかもしれません

      その結果生まれたのは登場人物が物語の中で勝手に自己啓発し立ち上がるという物語で、人物の成長とは大きくかけ離れたものでした。

      これまでの戦隊とは作り方を変えるというコンセプトには成功したと思いますが、筆者さんと同じく私も物語の筋道が一切理解不能の1年間を過ごすことと相成りました。

      最終回まで見終わって出た感想はほぼ無でした、ここまで語る気のなくなる作品はそうそうないとそう感じています。

      来週から1年ぶりに新しい戦隊シリーズが始まるようなそんな晴れやかな気持ちです。


      ゴープリの総括楽しみにしております。
      ゴープリは1年シリーズものとしてとてもレベルの高い作品でしたね。

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    3. >また回想シーンはいくらでも取って付けられるので描写しない

      回想は使わないようにしたとかそんな話は耳にしました。
      結局、最後は使ったんですよね。話に必要な範囲なら躊躇う必要はなかったと思います。こだわりは面白くするために用いるのであって、こだわるために拘っても価値はないと思います。

      >ゴープリの総括楽しみにしております。

      プリプリも書き終わりました。よろしければ御覧ください。

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  4. 敵である牙鬼軍団の魅力のなさについては何も言わないんですね

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    1. はい、そのとおりです。なぜかというと、それ以前の段階だと思うからです
      私はキャラの扱いは「正義の味方側>>敵」であるべきだと考えています。また、ヒーローものにおいて敵というのは主人公たち正義の側と対になる存在だと考えます。
      ニンニンジャーの6人すら描けていないのですから敵側が描けていないのも当然の流れです。天晴たちを評価しない以上、敵にも触れることもありません。

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    2. 個人的に過去作で最も味方と同じくらい敵が平等に扱われていたのは、ゴーオンジャーとキョウリュウジャーだと思っています。

      ほかの戦隊の敵にももっとドラマ性がほしいところなのですが、なかなかうまくいきませんね。
      今回のニンニンジャーにもそれを求めましたが…結果は見ての通りです。

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    3. そうですね。私も敵側の描写が面白かった作品というとゴーオンジャーとキョウリュウジャーを連想します。
      面白かったかは分けて考えるならボウケンジャーも敵側の描写は多かったほうでしょうね。細分化し過ぎて話の蒸し返しになったり問題もありましたが。

      私が思うにニンニンジャーで敵側を描くのは難しいと思います。もちろん今よりマシにすることは可能ですが、魅力的にまで変えるのは無理でしょう。というのも敵のドラマとテーマ性は相性が悪いと思うからです。

      ゴーオンジャーもキョウリュウジャーも物語全体のテーマ性はあまり打ち出していないと思います。キャラ同士のドラマをそのまま物語につなげていて、敵も味方も全体を通して1つのことを描くタイプではありません。実際、戦隊メンバー最低5人+敵最低3人で考えてもテーマ性まで扱っている時間は物理的にないと思います。

      個人的にはテーマよりも敵とのドラマのほうが好きです。
      戦隊でテーマ性を追うのは「人数+巨大戦」があるため時間的に厳しいと思います。無理してテーマを追求するより盛り上げることを重視するほうが戦隊には向いていると思っています。

      ニンニンジャーはたぶんテーマ性を打ち出しているタイプだと推測します。
      ラストニンジャとか親子三代とかキーワードにやたら拘っていましたので。敵側のドラマは根本的に厳しいと私は考えます。局所的に盛り上げることは別の話ですけどね…

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  5. 初コメント失礼します

    個人的にはここの過去のレビューであまり評価がよく無かったドライブ、トッキュウ、フォーゼ、ウィザード、ゴーバスなどはとても楽しく見れたのですが(高評価のW、キョウリュウなども言わずもがな)
    このニンニンジャーは正直モヤっとくる事が多く、この記事を見て共感できる事も多かったです
    一番最初のコメントの方と同じくやりたいことはわかったのですが・・・

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    1. はじめまして。

      ニンニンジャーは「やりたいのはこういうことだよね? それが何でこんな流れになるの?」と思うことが多かったです。それも作品全体の一部ではなく、ずっとそうだったことが不思議でなりません。確信があってやってるとしか思えないのですが、どこがどうつながってるのか私にはさっぱりわかりませんでした。

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  6. >別に強くはない父親を放置し他のメンバーも蚊帳の外にして、祖父と孫のレッドだけで戦う酷い有り様でした。

    さすがにこれは本当に見たのかと思います。批判する前に見直した方が良いのでは...
    あと戦隊物のシリーズ構成はメインライターではなくプロデューサーですよ

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    1. >さすがにこれは本当に見たのかと思います。批判する前に見直した方が良いのでは...

      私は旋風が二人と同レベルに活躍したとは思いませんでした。
      あなたがどこでそう思ったのか具体的に説明していただけますか?

      >あと戦隊物のシリーズ構成はメインライターではなくプロデューサーですよ

      シリーズ構成がストーリー構想、及び各話の展開に関わっていないとは知りませんでした。同じプロデューサーでいくつも作品を作っていますが、様々なストーリーの作品を作れるとはすごいですね。プロデューサーさんが脚本家に転職しないのが不思議です。

      私はプロデューサーが関わるのはコンセプトや全体の展開までで、あとは部分的な関与と各スタッフの声を聞いて決定を下す裁量権がある程度だと思っていました。

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    2. >私は旋風が二人と同レベルに活躍したとは思いませんでした。
      あなたがどこでそう思ったのか具体的に説明していただけますか?

      説明せずともあれを見てそう感じるのはあなただけでしょう。
      他のコメント見ても絶対に自分の意見曲げずに自分が間違っていても屁理屈こねて反論し聞く耳持たずじゃないですか。
      そんなんだから他の掲示板やサイト等で悪口言われるんですよ。

      >プロデューサーさんが脚本家に転職しないのが不思議です。

      なぜ自分が間違っているのに嫌味で返すんですか?
      そもそもシリーズ構成というものを勘違いしてますよ。
      あなたがおっしゃる『コンセプトや全体の展開までで、あとは部分的な関与と各スタッフの声を聞いて決定を下す 』がシリーズ構成です。
      まあこれは最低ラインで各話の展開にもしっかり関わるプロデューサーもいますし、更に言えば監督も関わります。
      東映特撮においてはメインライター≠シリーズ構成です。(鎧武を除いて)
      あなたの大嫌いなゴーストはプロデューサーがシリーズ構成の役割を果たせていない悪い例ですね。
      こういったブログを開設しているのにそんなことも知らず批判しているとは呆れます。

      削除
    3. >説明せずともあれを見てそう感じるのはあなただけでしょう。

      説明いただけないということですね。それではあなたの主張を理解することはできません。

      >東映特撮においてはメインライター≠シリーズ構成です。(鎧武を除いて)

      東映特撮以外では「シリーズ構成=メインライター」と呼ぶのが一般的だと思います。一般化するためにあえてシリーズ構成と呼んでいます。

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  7. 今更の書き込みでありますが妖怪熱が冷めたいいコンディションのなか子供ウケも最悪だったのか視聴率及び売上79億と壊滅的でしたね
    ライダーは回復傾向でありますが戦隊はジュウオウも引きづって下がり気味なのが心配です

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    1. 私は玩具と売上に関しては関心が薄いのでよく知りません。
      市場規模の拡縮や新規ライバルの参入など売上の増減に関連する要素が多いので語れるほどのデータを持っていません。

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  8. いちゃもんに近いなこれ。ニンニンジャーが嫌いすぎるのはよくわかったけどツッコミどころ満載ですな。

    >「個人回のはずがなぜかレッドが締める」
    個人回のはずとは?個人回というものがあって貴方の望む個人回のカタチがあるのですね。そこから外れていたと。でも、40話に関してはもう一度見直した方が良いね。敵を倒したのがアカニンジャーであってもモモニンジャーの助言(「だったら豪華にしちゃえばいいんですよ、天晴くん!」)からのアカニンジャー超絶&激アツ刀だし、お話もモモニンジャーが締めてるからね(「はい、すぐに追いつきます」)。

    ニンニンジャーは関係性を描く回ばかりですからね(第1話なら赤白+3人のいとこたち、第2話なら青赤…と見せかけて青桃回)。もしかしたら純粋な個人回なんてものはないかも。

    >物事がレッドと祖父を中心に動いているのに仲間を強調する姿は明らかに矛盾しているように見え、理解しがたいものでした。レッドを中心にするなら始めからレッドを格上として扱い、6人での切磋琢磨を主軸にするなら個人回でレッドが目立つことはあり得ないはずです。

    ?

    赤が主人公でドラマの軸になっていて優遇されているのと、仲間を強調するのは何が矛盾なんですか?横並びで均一じゃないくちゃ駄目なの?戦闘面では常に赤がリードしていたけど、みんないっしょに修行して強くなっていきました。

    祖父の意思継ぐ5人の孫たち+1人の弟子入り志望。それぞれキャラクターが立っていて、それぞれ機能していたと思いますけどね。

    >親子三代のはずが父親が空気
    >当然出番は少なく、メインで扱われたのは47話中たったの3話でした。

    メインだの個人回だのそういうカウントの仕方しかしてないんですね。スーパー戦隊シリーズにおいて、保護者ポジションのキャラクターがメインで扱われること自体そんなにあるわけじゃないのに3話もメインで扱われていたんですね。メインじゃない回もニンニンジャーの共同生活の日常の象徴として存在していたと思いますけどね。

    キリがないのでこの辺にしておきますわ。失礼しました。

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    1. >個人回のはずとは?

      主にレッド以外のメンバーを主役にした回のことです。

      >敵を倒したのがアカニンジャーであってもモモニンジャーの助言(「だったら豪華にしちゃえばいいんですよ、天晴くん!」)からのアカニンジャー超絶&激アツ刀だし、お話もモモニンジャーが締めてるからね(「はい、すぐに追いつきます」)。

      いえ、私が問題だと思ったのはそこです。
      バトルもので一番目立つのは敵を倒した人です。助言では大した見せ場にはなりません。そもそも霞はいつも助言役を務めていますからそれではいつもと変わらず、キャラの掘り下げやアピールになりません。
      最後の言葉なんて説明するまでもありません。取ってつけたような出番では余計に惨めに見えます。

      >横並びで均一じゃないくちゃ駄目なの?

      レッドのワントップなのに「誰がトップになるか競い合う仲間」というのは矛盾していると思います。既に実力トップは決まっているのでは競い合うも何もありません。

      >スーパー戦隊シリーズにおいて、保護者ポジションのキャラクターがメインで扱われること自体そんなにあるわけじゃないのに3話もメインで扱われていたんですね。メインじゃない回もニンニンジャーの共同生活の日常の象徴として存在していたと思いますけどね。

      あなたはその程度で満足されるのですね。私とは価値観が異なります。

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  9. そうそう、書き忘れたけど、終盤におけるモモニンジャー最後の主役回は第39話だから(演じた女優さんもそう認識しているhttps://twitter.com/minmin12344/status/895971441698414593)。第40話のクリスマス回は第39話を引きずってスランプに陥っているモモニンジャーを軸に話は進むけど(気を使う青黄白、それって違うんじゃないかの赤、そして単独行動の星)、モモニンジャーが主役というわけじゃない…。認識が間違っているんだよ。だいたい第39話で超絶ブレスを使い、シュリケンジンをお神輿席に座ってひとりで操縦して全形態を使い、あれだけ大暴れしたのに、第40話の戦闘の締めもモモニンジャーがやるべきって年末のクリスマス商戦にどんだけモモニンジャーを優遇しろと。

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    1. >終盤におけるモモニンジャー最後の主役回は第39話だから

      私は役者さんを重視しないので真に受ける気はありません。
      仮に40話は霞がどうでもいい立場だったとしても、それはそれでおかしいと思います。主役回の直後に天晴の踏み台にされるのでは霞の立場がありません。私だったら別の個人回を挟んだり間を空けます。そんなおかしなことをしたと考えるよりは、40話も霞の個人回の一環だったと考えるほうが私は納得がいきます。

      >第40話の戦闘の締めもモモニンジャーがやるべきって年末のクリスマス商戦にどんだけモモニンジャーを優遇しろと。

      そういうことを言い出すなら、クリスマスシーズンに個人回を入れること自体が間違っていると思います。

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  10. 追記
    第40話冒頭で天晴が買ったクリスマスプレゼントが第42話牙鬼満月撃退後のクリスマスパーティーでみんなの手に渡るまでをひとつの話として見たほうがいいです。

    その導入として第39話満月登場~霞姉敗北を知る回がある。もちろん第39話でも、長らく登場してなかったシュリケンジン各形態(パオン、UFO、サーファー)を久しぶりに総登場させて(激おこ霞姉がひとりで操り決着をつけたw)、既に年末クリスマス商戦は始まっていたと言えます。

    満月登場から退場までの第39話~第42話の4本を牙鬼満月編(ニンニンジャー年末クリスマス商戦)として、第39話は霞姉メイン回と言ってもいいけど、第40話を霞姉の個人回のはずとするのはやっぱり暴論ですわ…。初めてスランプに陥った霞姉を軸に、どう接するか「みんな隠しごとはなしにしようぜ」関係修復回。霞姉が軸だけど霞姉が主体の話じゃない…。主体は周囲の方で。霞姉が素直に悔しいって言えるようになって自分らしさ(主体)を取り戻す話だけど。第40話~第42話は誰かの個人回ということはありません。全員主役と言っていいし、強いて言うならやっぱり赤ということになる。

    例えば第23話のように白回と見せかけて桃黄回(白が軸だが主体じゃない)のようなことはニンニンジャーによくあることだったので、貴方のようなひとにはついていけないでしょうね…。

    >クリスマスシーズンに個人回を入れること自体が間違っていると思います。

    気に食わないと言うならわかるけど、間違っているという言葉が出てくる辺り、頭が固すぎです。イデオロギーを振りかざす人間は老害を自覚した方がいい。

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    1. >第40話冒頭で天晴が買ったクリスマスプレゼントが第42話牙鬼満月撃退後のクリスマスパーティーでみんなの手に渡るまでをひとつの話として見たほうがいいです。

      「一つの話だから」なんて言い出すなら、39話と40話も霞に関してはつながっていると思いますよ。そこだけ断ち切って考えるのは変だと思います。

      >全員主役と言っていいし、強いて言うならやっぱり赤ということになる。

      霞と天晴以外も2人並に目立っていたというのですか? 私には信じがたい発言です。「霞と天晴、2人とも主役」とか「天晴メインで霞がNo2の回」というのならわかりますが、全員等しくというのはないんじゃないでしょうか?

      >イデオロギーを振りかざす人間は老害を自覚した方がいい。

      老害なんて言葉を気軽に使う人に言われましても…
      「私は間違ってると思う」というのは感想としては普通の表現だと思います。そんなことを言い出したら、「面白い」だって「なんでお前が作品の性質を決めてるの? 何様?」とか言えてしまいます。

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  11. 桃は有明の方と因縁ができていたし、その有明の方の息子である満月が桃に目をつけるというのは自然な流れ(本人曰く有明の方の腹のなかでずっと桃を見ていた)。ニンニンジャーで無敵の裏番長だった桃が策士策に溺れて初めて敗北するというのは、満月が今までの敵とは違って一筋縄ではいかない強敵ということを印象づける。年末商戦の導入としては良かったと思いますけどね。

    貴方のカチコチの頭だと間違っているのでしょうけど。

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    1. >満月が今までの敵とは違って一筋縄ではいかない強敵ということを印象づける。

      それなら天晴と絡ませれば済んだことだと思います。
      あの時点で「ニンニンジャー最強は誰か?」という質問をしたら、答えは天晴かお爺さんになると思います。裏番長なんかより表の代表とぶつけるほうが強さを強調できると思います。

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  12. 今さらニンニンジャーの感想を書きます。
    実はレンタルでニンニンジャーとジュウオウジャーを見ました。2つ見てしまうとどうしても比較をしてしまいます。私は主さんと同様にジュウオウジャーが大好きでニンニンジャーはいまいちです。
    主さんはジュウオウジャーが全体的によくまとまっていたと感想を書かれていましたが、私も同意見です。
    それと私が思う大きな違いが、ジュウオウジャーがキャラクターの内面の個性を重要視していたのにたいし、ニンニンジャーでは表面的な個性しか利用していないように思えました。だからキャラに一貫性がなく、発言も行動もぶれぶれだったのだとおもいます。
    お互いの関係性も曖昧でした。きちんと決めていないから、唐突に凪がキンジを心から信頼するというエピソードが作られたりするのです。あれはその役は凪でなくてはならない理由が必要だと思います。しかし、あれは誰がやっても良いような感じです。せっかくキャラクター同士が心を通わせる話なのに全く説得力がありませんでした。
    個人的に一番キャラがぶれていなかったのは八雲だと思います。ギャグ要員っぽいですが、天晴にたいする思いなど非常に一貫性を感じました。常に意識して追い抜こうと思っていることを上手くストーリーに盛り込んでいたと思います。キンジと天晴の壁に閉じ込められる話しは、八雲だけのほうが説得力がありました。キンジはやっと正式に仲間になった直後にもうたかはる個人に壁を感じるというのは違和感がありました。その後も特に天晴にたいするライバル心など描かれることもありませんでした。
    八雲の終盤に天晴を精神的にたよってなどいないという描きかたも八雲というキャラクターを上手く使っていたと思います。
    そもそも天晴をみんなが精神的支柱と感じていることがかなり疑問でした。天晴を上手く描けていない部分が影響していたのかなと思います。
    凪は個人回では成長物語っぽいものが多かったので、その辺を上手く利用すればもっとキャラがたったのになと思います。せっかく成長物語がいくつかあるのに全部がバラバラで凪のストーリーとして繋がりが薄いんですよね。
    ラストニンジャレースの終わりも「はいはい、そうですか」って感じでした。誰かしらかが継承して良かったと思うんですよね。現実世界での跡取りみたいに。それじゃ、目指したオチにならないのか…。
    お爺ちゃんも天晴を優遇しすぎだなと思います。成長物語が多かったのだから、凪が急成長して最終的には一番強いっていう流れも見てみたかったです。…でも赤が一番じゃなきゃダメか…。
    良かった点はアクションです。素面のアクションが多かったのは結構見応えがありました。役者さんみんな頑張っていましたね。
    もうひとつ良かった点は、修行を通じて強くなっている点です。徐々に強くなり、最終的にボスを倒すところまで強くなったことに違和感がありませんでした。
    ところで、私が一番好きなキャラクターですが、それはお父さんです。八雲のキャラが一番ぶれていないとかきましたが、それは、おとうさんもです。
    登場が少ないので、ぶれようがなかったのかもしれませんが…。
    傘化けお化けの話が好きです。おとうさんの何もできない情けない自分を悔やむシーンなどは感情移入してしまいました。演出も良かったと思います。私の中でニンニンジャーベストエピソードです。感想を読んだところ、主さんはあまり好きではないようでしたが…。ただ、この回の天晴であれば好きになれたっていうのは全く同感です。ニンニンジャーの欠点として、主役のウザさが大きいんですよね。主さんも多分同じ意見なのだと思いますが…。
    ジュウオウジャーVSニンニンジャーを見たときに、ジュウオウジャーの主役の大和のまともさに驚きました。そして、この映画がとっても面白かったです。上手くまとまっていました。これを見てジュウオウジャーが面白いのではないかと思いました。そしてその予想は大当たりでした。
    ジュウオウジャーの感想はまた書かせていただきますね。
    主さんの感想、楽しく拝見いたしました。ありがとうございます。

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    1. >私が思う大きな違いが、ジュウオウジャーがキャラクターの内面の個性を重要視していたのにたいし、ニンニンジャーでは表面的な個性しか利用していないように思えました。だからキャラに一貫性がなく、発言も行動もぶれぶれだったのだとおもいます。

      これは何とも言えないと私は思います。
      表面的な個性であっても一貫性を持たせることは可能、むしろ複雑でない分やりやすい可能性すら有ると思います。一般的に「戦隊の登場人物は記号的」と揶揄されやすい傾向にあると思いますし、ニンニンジャーの登場人物も口癖を多用したり、フォーマットとしては珍しくない形になっていて一貫性を持たせることは難しくない構成だったと思います。
      私としてはむしろ「シンプルな内容のはずなのになぜこんなに方向性が見えてこないのだ?」という点が不思議でした。

      >個人的に一番キャラがぶれていなかったのは八雲だと思います。

      これは順当な印象だと思います。主要キャラの中では天晴の次に印象が残るのは八雲だと思います。スタート地点は天晴へのライバル意識で、ゴールも魔法忍術と最初から決まっていますからわかりやすいです。
      あとは八雲の個人回の担当が基本的に下山さんではなく、ゲスト参加の毛利さんだったことに起因しているのではないかと私は推測します。

      >せっかく成長物語がいくつかあるのに全部がバラバラで凪のストーリーとして繋がりが薄いんですよね。

      そうですね。これは他のキャラも同じだと私は思っています。
      それぞれニンニンジャーとしての生活を始める前に”元の生活”があって、やっていたことも別々なのですから途中経過も最終的な各人の結論も個性化できたと思います。
      メインは天晴たち親子三代で他は数合わせでしかなかったのだろうと私は思っています。

      >誰かしらかが継承して良かったと思うんですよね。現実世界での跡取りみたいに。

      先代を殺してまで跡を継がないというのが天晴たちの結論だったはずなのでそこは当然だと私は思います。
      私の疑問点はそれなのに結局終わりの手裏剣の力に頼るのかというほうでした。

      >お爺ちゃんも天晴を優遇しすぎだなと思います。

      ラストニンジャレースを語るならそうなるべきですが、作中の出来事を見る限りでは当然のことだと思います。どう見ても天晴が一番強いですからね。先代殺しという点で考えても、実行可能そうなのは天晴か霞、キンジくらいでしょう。

      >ニンニンジャーの欠点として、主役のウザさが大きいんですよね。

      戦隊の構成やラストニンジャレースと噛み合っていない点は問題だと思っています。
      始めから「次期頭領であるレッドとその部下」という構図だったら違和感は少なかったと思います。天晴だけずっと忍者の修行を続けていたという設定からしてメンバーが同格ではありません。

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  13. お返事ありがとうございます。
    あ、あのまず誤解を解きますと、ラストニンジャを継承してよいというのはお爺ちゃんを殺してというのではなく、先代を殺さなきゃいけないという設定を無視した話です。人を殺してまでその地位にたとうと考える人間が人々を守ったり、大きな力を持つ終わりの手裏剣を守るなんてできるわけありませんから、あの設定は無理のある設定だと思います。

    主さんは表面的な個性だけでも一貫性を持たせることは可能だとおっしゃいますが、やはり私には無理のように感じます。なぜなら、その人の発言も行動も内面から出てくるものであり、その内面をきちんと決めなければ発言なんか特にぶれてくると思います。短い物語なら表面だけでももたせられると思いますが、一年間という長い期間で物語を完結させるのですから、キャラクターの内面をきちんと決めないとちょっとした台詞にも違和感が出てきて、それが積もると全体的に方向性の定まらないキャラクターになってしまうとおもいます。
    凪を例にすると、彼は一番年下で素直な弟的なイメージだと思います。だからこそ成長物語が多かったのだと思います。そこを生かして、もっと素直だからこその問題やいつまでもこども扱いされることへの反発、素直だからこそキンジと最初に打ち解けて、後にキンジが狼化してしまう時に彼を信じると言うのだから、キンジとの交流をもっと盛り込んで全体的に凪とはこういう人なんだというイメージをしっかりとつくってあげないと一貫性は出てこないと思います。
    他の人たちも「この人はこういう人なんだ」というものを作り上げていかないでただ行き当たりばったりでお話を作ってしまうと表面的になんとなく同じでもなんかバラバラという印象にしかならないと思います。
    八雲はその辺で割りと一貫性を感じました。お笑い要員でなんかついてないやつってポジションも一貫性を感じる要因かも知れません。現実にもなんかついてないやつっていますよね。でもそれだけではなく、一貫して天晴を越えたいっていうものはありましたし、その中でも後半にかけて、発言にも成長が見られました。ここが八雲の一貫性に大いに役立っていたと思います。目標をはっきりと持っているのもやはり一貫性に繋がっています。おとうさんのすごろくの話で言及されていたのでそこも良かったです。おとうさんのエピソードでなぜ八雲?という感じは多少しました。あれをやるなら少し八雲とおとうさん(おじさん)の交流を描いても良かったかもしれません。唐突に八雲なので若干の違和感はありました。メインで二人の交流をやらなくてもさりげなく前のエピソードで触れておくだけでも印象は違ったと思います。
    ジュウオウジャーでも散々レオが操のことを「めんどくさい」といい続けて二人のエピソードだったので大変繋がりが感じられました。
    主さんのおっしゃる通りメインは親子三代だったんでしょうね。それをやるならもはや全員兄弟にしてしまえば良かったのにと思ってしまいます。
    主さんは天晴がうざいと思っているのかなと思いましたが、そうでもなかったんですね。私はいちいち「熱いぜ」「燃えてきたー」など鼻につく熱血漢がうざくて仕方ありませんでした。

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    1. >ラストニンジャを継承してよいというのはお爺ちゃんを殺してというのではなく、先代を殺さなきゃいけないという設定を無視した話です

      私は先代殺しを無視したラストニンジャの継承はあり得ないと考えます。
      先代殺しは先代を超える実力があるかどうかの試験であり、いざというときに非情な決断をできるを試すためでもあると私は考えます。(前提としてただの殺人への抵抗が少ないだけではなく、普段はまともな人格であるかどうかをそれまでの修行で見極めてあるものとします。)これは終わりの手裏剣自体が切り札でありながら世界を滅ぼしかねないものであるため妥当な考え方と言えると思います。
      ラストニンジャに先代殺しという要素が含まれている以上、天晴たちが真実を知った後に称号を継ごうと考えるのはあり得ないと思います。真実を知った時点で天晴たちにとっては「名誉ある称号」なんてものではないはずですから。

      >目標をはっきりと持っているのもやはり一貫性に繋がっています。

      私はこれができるのはメインキャラだけだと思います。脇役の凪たちには無理だと思います。
      脇役の役目はそのときどきのストーリーに合った役割を果たすことであり、「このキャラだからこういう役割」というキャラ中心ではなく、「この話をするにはこういう役割をするキャラが必要。じゃあ凪にやらせよう」という形になると思います。ゲストキャラにやらせるという手もあるのですが、ニンニンジャーの場合は基本的に内輪で済ませているので不可能でしょう。ゲストを出したら出したで各メンバーの出番がなくなるという問題が発生します。
      私は天晴を中心とした実際のニンニンジャーの展開と方向性を維持しつつ、全員を描く手段が思いつきません。やるとすれば最初に「凪はこういうキャラ」と初期設定を固めて、個性を逸脱しないように小さくまとめるくらいだと思います。

      それとおそらく、匿名さんと私では「個性」の定義が異なるのではないかと推測します。匿名さんにとっては個性とは「人格」を意味するところが強いように見えます。私はそれより広義であろう「キャラクター性の中核となるもの」と定義しています。たとえば「明るいお調子者」という設定だけでは人格とは呼べませんがどういう方向性のキャラかは伝わると思います。そういう違いです。

      >主さんのおっしゃる通りメインは親子三代だったんでしょうね。それをやるならもはや全員兄弟にしてしまえば良かったのにと思ってしまいます。

      私は実の妹の風花でさえ平気で無視されている状況では、仮に全員兄妹にしても特に変わらないと考えます。むしろ「なぜ天晴だけこんなに優遇されるんだ?」という違和感が増すと思います。

      >主さんは天晴がうざいと思っているのかなと思いましたが、そうでもなかったんですね。

      そうですね。ウザいとは大して思っていません。
      ワンパターンな台詞で退屈ではありますが、子供向けの口癖というのはそういうことが多いので許容範囲です。
      そして何よりもウザいと感じるのは人格を感じる相手にだけだからです。天晴の思考がさっぱり理解できない以上は自分には理解できない言動と受け止めるだけです。それは分析すべきものではあっても、感情的に受け止めるべきものではないと思います。

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  14. お返事ありがとうございます。
    人の感じかたや受け止め方はそれぞれですね。
    あと私が表面的な個性と内面的な個性という言葉を使ってしまったのが少し誤解を生んだようで申し訳ありません。主さんの仰る個性を私は表面的な個性、人格を内面的な個性といっていたんですね。私は内面をもっと描くべきだったと感じるのです。

    ちなみに八雲が目標をはっきりと持っていたから一貫性を感じられたと書きましたが、あくまでも八雲のキャラクター構成上役に立ったというだけで、全員目標を持たないと一貫性を持たせられないとはいっていません。これまた誤解を生む書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。夢を持っていなくても逆にそこを上手く利用して一貫性を持たせることだってできます。
    そして凪って脇役だったんですね。6人全員がメインキャラだと思っていました。その中でも一番の主役が赤だと…。

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    1. >凪って脇役だったんですね。6人全員がメインキャラだと思っていました。

      公式発表では全員メインと言われるでしょうが、作中での扱いから判断すると私の印象では以下のようになります。

      主役:天晴。
      主役に絡む重要キャラ:祖父、九衛門。
      メインキャラ:八雲、霞、キンジ。
      脇役:凪、風花。
      超脇役:お父さん、敵幹部などその他。

      私には凪や風花が八雲や霞と同等の扱いを受けていたとは思えません。お父さんは個人回もあり、回によっては脇役以上の扱いでしたが全体としては出番も活躍もほとんどないため、その他扱いです。

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