『蒼穹のファフナーEXODUS』 最終回まで見終わって:総合感想+考察

2016年1月31日
■前書き
・最終回から一ヶ月が経ち、ニコニコの一挙放送で改めて見直したのでそろそろ『蒼穹のファフナーEXODUS』 についての自分なりの考えをまとめたいと思います。

・話が長くなるので方向性をわかりやすくするために、まず最初に私が思ったEXODUSの良いところ、残念だったところを箇条書きで書き出したいと思います。全体の印象と各内容に関しての言及はその後で触れていきます。





【良かった点】

・中盤までのファフナーらしい人物描写。
・CGアクションのクオリティ。


【残念だった点】

・メインストーリー。特に段取り臭い派遣部隊編と後半のダイジェスト展開。
・バトルの長さ。
・SDPなど新設定によるインフレの取り扱い。


【全体感想】

■私の考えるファフナーの魅力とは
・個人的な印象としての結論は「期待していたものと違った」です。
私としては初代や劇場版と同じ方向性を期待していたのですが、EXODUSは違う方向性を向いていました。その良し悪しは別として、それは私がファフナーに望むものではありませんでした。


・私がファフナーに望んでいたものとは何か。言い換えれば”ファフナーの魅力”とは何かということになるでしょう。私が初代で感じたファフナーの魅力は「人間ドラマ」でした。
ファフナーのストーリー自体は至って普通のSFジュブナイルものだと思います。言葉の通じない未知の敵の襲来による人類の危機。その戦いに巻き込まれ、戦うことを余儀なくされた子供たち。その中で繰り広げられる戦いと生と死のドラマ。それが基本的なストーリー展開だと思います。この構造自体は近未来SFロボットアニメでよくあるもので特に興味を惹かれるものはありません。

・では何が面白かったのかというと、「登場人物の人間模様」でした。
特に戦い以外の日常のドラマがファフナーの最大の特徴だと思います。バトルものにも日常描写はありますが、それは基本的に戦いに絡めて描かれることが普通です。友情も仲違いも日常で描かれるだいたいのことは戦闘中のドラマに帰結します。ファフナーの場合、日常は日常で完結し、戦いは戦いでしかありません。戦っている最中に仲直りしたり関係が変化することはほとんどありません。戦いはむしろそのまま続いていくはずだった日常を断ち切る障害として登場します。そこがファフナーのユニークな点であり、最大の魅力だと私は思っています。

・もう1つの特徴は「モブがいない」点だと思います。
基本はロボットアニメなのでパイロットである子供たちが主役で、裏方である司令やメカニックなど大人たちは脇役です。しかし脇役にも一人ひとりドラマがありました。最初はただのメカニックの人という印象だったのが、良き父親になり、子供を戦いに送り出さなければいけないことに憤る大人になり、回を重ねるごとに一人の人間として浮き彫りになっていきます。手塚さんなど少ししか出番の人にも描かれなかった人間模様を感じさせる息遣いが感じられました。子供だけでも大人だけでも成り立たない”島”という概念を下支えするに充分なドラマの積み重ねがありました。この重層感がファフナーのもう1つの魅力だと思います。

・戦いに勝ったところで世界は変わらない絶望的な状況の中での生き様。シンプルな内容ですが、その世界に生きる登場人物を生き生きと描くことで驚くほどにドラマチックな展開に仕立てあげられていました。初代後半を見たときに、これだけありふれた内容でもここまで面白くできるものかと驚かされました。

■EXODUSとの違い
・前置きが長くなりましたが、ここからはEXODUSについてです。
全体の印象としては、
前半~中盤(17話まで):期待どおり面白い。
後半~(18話以降、派遣部隊に関しては14話の時点から):展開の仕方に違和感を覚える。
という感じでした。

・前半から中盤までは楽しかったです。
咲良が教師になっていたり真矢が戦闘機パイロットになっていたり、それぞれの道を歩んでいて初代から年月の経過を感じさせる描写や里奈と暉の考えの対立など変化がある一方、零央と美三香の関係性や広登のことを心配する舞など変わらぬところで安心できました。
SDPの副作用である新同化現象はドキドキしました。今までは生きるか死ぬか/動けなくなるか、という二元論でしたがそこに生活に支障をきたす、外見に影響が出るなど小さいけど大きい要因が加わり、展開がより複雑になりました。死なない限り、ファフナーに乗るリスクの存在感nが小さくなっていたのでこれは上手い展開だと感心しました。
そしてカノンの回である17話です。カノンに対象を絞っていえば完璧でした。これぞファフナーという印象でした。

・ですが18話以降は違和感を感じる展開が続きました。
話の展開がどんどんダイジェストになっていき、人物描写が削られメインストーリーが優先されていったのです。ダッカ基地までの派遣部隊の旅程の省略などダイジェスト自体は14話からあったのですが、それは単純に面白くなく内容も想像できる範囲のことだからダイジェストで済ませたのだろうと思っていました。しかし実際には話数が進むごとにダイジェストが多くなっていき、脇役はおろか一騎や真矢の人物描写までカットされるようになっていきました。このメインストーリーを優先して人物描写を疎かにする姿勢に私は強い違和感を感じました。一騎と真矢の描写を省略してしまったら派遣部隊の話をした意味が半分はなくなると思います。21話で真矢が「もっとゆっくり大人になりたかった…」と言っていましたが、私ももっとゆっくり過程を見たかったです。

■アクションの功罪
・アクションは良い点と悪い点、両方ともはっきりしていました。
CGのクオリティは大幅に上がり、他作品と比べてもずば抜けた質の高さでした。初代は作画やアクションに関しては良いとは言えなかったのでその点では大きく向上したと思います。

・ただ、クオリティの高さが裏目に出たとも思います。
単純にかっこいいアクションとファフナーのストーリー性の相性が悪いからです。かっこいいアクションほど時間を取り、アクションを増やすほどストーリーに割ける時間が少なくなっていきます。ファフナーは「ファフナー強い!かっこいい!敵をやっつけろ!」なんてタイプではありません。乗っているパイロットの人物描写がなくては、かっこよさも爽快感も成立しません。かっこいいアクションになればなるほど「かっこいい!…けどそんなことをしてる暇があったら会話の1つも入れられただろう…」と歯がゆい思いになりました。ファフナーのバトルは必要最低限でいいと思います。

■一周回って普通のロボットアニメに
・ファフナーの特徴は、ロボットアニメなのにロボットより登場人物のほうが重要で、バトルよりも日常の人物描写のほうが重要な点だったと思います。
EXODUSではバトルが増え人物描写が減り、ストーリーも戦いの比重が強くなりました。普通のロボットアニメらしくない点が特徴だったのが、普通のロボットアニメに近づいてしまったように思います。

・誰の要望に基づいた結果なのかわかりませんが、それでいいのだろうかと私は疑問に感じました。シリーズ作における方向性の変化は付きものです。私にとってはEXODUSの後半の展開は私が望むものではありませんでした。


・冲方さん関連の公式アカウントの発言によると、コミュティ同士の対立を群像劇として描こうとする意図があったようです。しかし私はそれは失敗していたと思います。
イデオロギーを優先し、人を描けていなかったからです。そのせいで群像劇に必要なイデオロギーを体現する人の存在感が弱く、群像劇としては成立していなかったように見えました。アルゴス小隊や人類軍は言動が馬鹿げていて、かつその愚かさにも人間味が感じられるものになっていませんでした。これで初代やEXODUS前半を使って描いてきた竜宮島やエメリーたちと同格の存在として対立させるのは無理があったと思います。
このテーマをやるには人数が多すぎたとも思います。彗たち新人組やアルゴス小隊は出し続けておく余裕はなかったでしょう。島も外も人数をもっと絞らないと不可能だったと思います。この内容をやるには前半がゆっくり過ぎ、一騎たちのドラマとするには後半があっさり過ぎで、どちらも煮え切らない結果になってしまったように思いました。

■あとは考察で
・まだ触れるべき点はあるのですが、感想、というには感覚的に理解できていないので考察として取り扱いたいと思います。


【考察】

・最初に断っておきます。本考察では「EXODUSはこういうテーマだったんだよ!」なんて綺麗な結論は出せていません。わからなかった部分を自分で考えてみて、「こういう方向性なのだろうか?」と考えだした程度のぼんやりした内容しかありません。あしからず。

■重要なのは他者との関わり
・大切な相手がいること、そしてその相手に受け入れられること、相手を受け入れることが重要な要素だったのではないかと私は考えます。

・例として主要人物のうち、二人とも生き残った人物、どちらかあるいは両方失われた人物をリストアップしてみると以下のようになります。

両方生き残った人
一騎と総司、総司とニヒト、真矢と美羽、剣司と咲良、零央と美三香、彗と里奈、芹と織姫

失った人
暉と広登、里奈と暉、ビリーとダスティン、ジョナサンとアイ、第三アルヴィスのコアと島の人々、美羽とエメリー&弓子、彗の両親と彗の姉

・対になる相手がいる相手がいるかどうか、そしてその相手を肯定的に受け止められたかどうかで明暗が分かれています。
広登の思想を引き継いだ暉、その思想を更に引き継いだ里奈。娘の死を吹っ切れるかどうかが未来の鍵だった彗の両親。アイを殺してしまったことを思い出したことで自我を取り戻したジョナサン。
受け止めた側とは対照的に、兄の死について考えることを止めてしまったビリーは死に、何のための憎しみだったかも忘れた第三アルヴィスのコアは無軌道に動いただけで何も残せませんでした。

・これは他者の存在は自分を認識するために不可欠だからでしょう。ゴルディアス結晶関連で度々語られていた「いなくなってもその人が存在した記憶は残る」という要素はここに絡んでいるのだと思います。命は尽きても何かを残せれば、そして相手がそれを受け止めれば激動する状況の中でも自分を見失わずにそこに存在し続けられるのでしょう。

・そして総司です。
自分の有り様を受け入れ、一騎を受け入れ、そしてEXODUSでニヒトも受け入れた総司は定められた死を乗り越えて生まれ変わる、1つのハッピーエンドを迎えられました。唐突で不可解な要素ですが、肯定的な要素として提示されていることは間違いないと思います。
以上の点から、他者との関係性とそこから生み出される何かがEXODUSにおいて重要なファクターだったのではないかと私は仮定しました。

■ここにいること↔EXODUS
・この他者との関係性の重要性は今作のタイトルの「EXODUS」にも関わっているのではないかと私は考えます。

・初代ファフナーの登場人物の在り方は基本的に内省的でした。他者との関わり合いはあっても、最終的には自分で考えて自分のあるべき姿、”ここにいる理由”を見出す物語であったと思います。

・それに対し、EXODUSの後半では自分自身に関わることはあまり重視されていなかったと思います。平和を訴えることから相手を殺すことまでを含めて、他人に対し何ができるのか何を残せるのかという他者に向けた行動や思考に焦点があてられていたように見えました。
この自分に関する内省的な思考から外に向けた動きが、EXODUSという単語の意味するところなのではないかと考えます。

・次回作だからといってEXODUSが「ここにいること」を否定したり、発展した存在であるかというとそれは違うと思います。
最終回においては登場人物の内省的な思考が主に扱われていました。それまでメインストーリーの展開を重視していた流れとは大きく食い違う話の構成でした。これは外への働きかけ(EXODUS)も個々人の思考(ここにいること)から生まれたものであり、両者は密接に関係し巡り廻るものであって離れた存在ではないと訴えているのではないかと思います。

■同化と祝福
・相手に働きかけることとは何か、それが「祝福」なのではないかと考えています。そしてその対義語が「同化」であろうと考えます。

同化:相手を否定し、強制的に自分と同じに変えること。
祝福:相手に働きかけること、そして相手がそれを受け入れること。すなわち異なるもの同士を調和すること。

・2つの単語の定義はこのようなものではないかと仮定しました。
溝口さんなど複数の登場人物が「人間を殺す人類軍とフェストゥムはどこが違うんだ?!」と言っていたことも、相手の言い分を聞くこともなく何かを語ることもなくただ皆殺しにする人類軍の言動がフェストゥムの同化と本質的に同じであることを意味していたのでしょう。
新同化現象もこの差異を補足する要素だったのではないかと考えています。人としての肉体や尊厳を失いながらも人間らしくあり続けるパイロットたちと、人の姿を保ったまま人としての理性を失っている人類軍で対比になっていたのだと思います。
またアザゼル型もこの一端を担っていたのだと思います。軍事的作戦行動をとったり、操られたり、フェストゥム同士で強制的に同化し合ったり、EXODUSのフェストゥムはフェストゥムらしさとはかけ離れた存在になっています。
人がフェストゥムのように行動し、フェストゥムが人のような行動をとる。EXODUSの時間軸では自我という境界線を境に両者の存在があやふやになっている状況だったのだと思います。そんな状況からの脱却だからEXODUSなのかもしれません。

・祝福で重要な点は、ただ一方的に働きかけるだけでは祝福足り得ないという点だと思います。
祝福は他者から与えられるものではあるのですが、受け取る側が受け入れない限り意味はないと思います。織姫が「苦しみも痛みも、与えられた力も限られた命も全てが祝福なの」と言っていたのはそういう意味なのだと思います。通常では喜ぶべきことでない痛みや苦しみでさえも受け取る側が意味を見い出せば祝福になるのでしょう。

■未来へ希望をつなぐ
・他者との関係性は特定の相手との一対一の関係だけでなく、最終的には個人の思いをみんなへと広げることが重要なこととして描かれていたと思います。個人と個人をつなぎ、点と点がつながることで希望へと至る道になる、そういう方向性で物語が進んでいたように思います。ヘスターがなぜ生き残れたのかという点が疑問だったのですが、それも真矢とヘスターの間につながりができたからなのではないかと考えています。ベイグラントへのミサイル攻撃がなければ勝利はあり得なかったかもしれません。

・ゴルディアス結晶はその象徴としての役目もあったのではないかと私は考えます。
アルタイルは明らかに従来の存在とは比べものにならないほど大きな存在として描かれていました。既存の存在より1つ上のステージを象徴している存在であろうと私は仮定しました。言い換えるならば目標であり、ゴールでしょう。
そのアルタイルを封じるために必要だったものがゴルディアス結晶と織姫の献身でした。しかしゴルディアス結晶だけではアルタイルを留めるだけで最終的な解決はいずれ来る美羽との対話へと持ち越されました。つまりゴルディアス結晶では不充分であり、美羽ならできる何かが重要であるという意味だと考えられます。

・作中における美羽の最大の特徴は”お話”できることです。
エメリーと弓子の思いを受け止め、真矢を救ったように対話によって人やフェストゥムをつなぎ、積み重ねられていく何かによってファフナー世界は真の平和へとたどり着けるという意味ではないかと私は考えます。

・美羽が築き上げるものが具体的に何なのかは謎です。ゴルディアス結晶のように形になるものなのか、それとも個々人の胸の内に芽生えるものか、あるいはエメリーがナレイン将軍やエスペラントに支えられていたように、美羽を支える存在を築き上げることなのか。選択肢はいくつもあります。それが何かは次回作以降でしかわからないことでしょう。


■後書き
・自分なりに考えてEXODUSとはどういう物語だったのか考えてみました。
しかしまぁ、穴だらけです。定義に当てはまらない事象や反するようなことまでいくつもありますし、
「一騎の祝福の意義とは?」
「澄美さんの最後の行動の意味は何だったのか?」
「総司が生まれ変われたことの意味はいったい何?」
と、自分で疑問に思ったことですら答えが出せていない部分がいくつもあります。およそ完璧とは程遠い内容なので話半分に考えていただければと思います。



コメント

2 件のコメント :

  1. 総士の名前を「総司」でずっと通してるのは誤植なのか意図的なのかどっちですか?

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