輪るピングドラム 第19話『私の運命の人』:感想
普通に両親出ちゃったよ!
前回の否認はなんだったのさ? 冠葉への印象が揺らぐ。
冠葉なら陽毬のためなら両親でも売りそうだと思っていたが違うのか?
それとも”今”はどこにいるのか知らないけど、会ったこと無いとは言っていないという屁理屈?
ひょっとして冠葉が守りたいのは”家族”であって、陽毬も家族の一員だから守る。
陽毬を溺愛しているのは晶馬や両親は放っておいても生きていけるけど、陽毬はそうじゃないから。というだけじゃないかと疑ってしまう。
子ども真砂子にも優しくしてたし、そんなに悪い人間じゃないと思うけれど。
眞悧はミッションを冠葉&真砂子にやらせたいらしい。
高倉家の両親もその組織も健在なのに子どもにやらせるからには、やる人に意味があるのか?
危険だとか命をかけないといけないって程度なら、あの組織は全く厭わないだろう。
テロ事件当時、兄妹が生まれた直後だった。
今は冠葉と真砂子はそれぞれ自分の家族を背負っている。
高倉両親は今は冠葉に任せて何も背負ってないから、やる資格がないってことかな。
二人の行動は現状維持、または過去の幸せを復活させるという意味合いが強いように見える。
眞悧とプリクリ、桃果の関係からすると、未来志向でないことが重要なのか。
世界の言葉が聞こえるという眞悧と自分で救う相手を選ぶ桃果。
ひょっとしたら眞悧は誰も幸せにはなれないが嘆くこともない。
そんな運命の乗り換えが必要ない世界を作りたいのかな?
高倉両親健在といい、今回は衝撃の事実のオンパレードだった。
陽毬も捨て子だったのか。
多蕗のときも共通の換気扇のイメージがあったってことは子どもブロイラーは実在の場所、虐待児童の施設か何かなのか。
あんな換気扇、偶然そこらに似たものがあるわけないし、高倉家隣はその跡地?
しかも陽毬を救った王子様が晶馬だったなんて!
冠葉に続いて晶馬へのイメージも崩れた。
自分でやっておいて陽毬や家のことは冠葉に任せて、苹果にかまけるなんて外道。
でもこの行動って桃果的な感じでもあるね。
晶馬の運命の乗り換えを陽毬に使ったとすると能力者はみんなたちが悪いなぁ。
この理不尽さは童話にあった女神様に由来するのかねぇ。
しかし晶馬が運命の乗り換えを使って陽毬を救ったとすると、不自然な写真とか晶馬の態度とかが不可解だ。
乗り換えならもっと自然に修正をかけられそうなもんだが真砂子でも調べられる程度なんて、意外と不完全なのか。
それとも救うまでは晶馬で、あとは組織お得意の記憶改竄ってほうが有力かな?
今回出た高倉母の顔に傷がなかったのも乗り換えなんだろうか?
これはただの整形かもしれないが。
今回の流れで言うと、真砂子が”あの家”=陽毬。と認識していたことが興味深い。
単に『冠葉がシスコンだから私を見ないんだ!』というヒステリー由来が大きいのかと思ってたけど、おそらく陽毬が来る前の子ども冠葉を唯一知っている真砂子からすると冠葉を縛る高倉家ができたのも陽毬が原因に見えるのかな。
子どもブロイラーで消える前に陽毬が『何者にもなれなかった私。』『生存戦略!』という言葉の感じからするとプリクリは選ばれなかった未来で、ひょっとしてピングドラムは乗り換えとかで生じたものをリセットする存在なんだろうか?
リセットしたら陽毬は生きてるし、桃果も事件に関わらず生きている。
そんな現在があるかもしれない。
一方で乗り換えがなかったら多蕗は子どもブロイラーで消えるかあの母親の元で生地獄だろうし、ゆりの命も危ういだろう。
冠葉やゆりならそんな今も選びかねないが、晶馬や真砂子はしないだろうな。
今回でかなり事実関係が明らかになったけどまだまだわからない。
『誰が何をしたか』は判明したけれど、”なんで”がわからないからだ。
たとえ動機がわかっても本人の意思なのか、眞悧とか裏があるのかわからない。
ピンドラからはまだまだ目が離せない。
前回の否認はなんだったのさ? 冠葉への印象が揺らぐ。
冠葉なら陽毬のためなら両親でも売りそうだと思っていたが違うのか?
それとも”今”はどこにいるのか知らないけど、会ったこと無いとは言っていないという屁理屈?
ひょっとして冠葉が守りたいのは”家族”であって、陽毬も家族の一員だから守る。
陽毬を溺愛しているのは晶馬や両親は放っておいても生きていけるけど、陽毬はそうじゃないから。というだけじゃないかと疑ってしまう。
子ども真砂子にも優しくしてたし、そんなに悪い人間じゃないと思うけれど。
眞悧はミッションを冠葉&真砂子にやらせたいらしい。
高倉家の両親もその組織も健在なのに子どもにやらせるからには、やる人に意味があるのか?
危険だとか命をかけないといけないって程度なら、あの組織は全く厭わないだろう。
テロ事件当時、兄妹が生まれた直後だった。
今は冠葉と真砂子はそれぞれ自分の家族を背負っている。
高倉両親は今は冠葉に任せて何も背負ってないから、やる資格がないってことかな。
二人の行動は現状維持、または過去の幸せを復活させるという意味合いが強いように見える。
眞悧とプリクリ、桃果の関係からすると、未来志向でないことが重要なのか。
世界の言葉が聞こえるという眞悧と自分で救う相手を選ぶ桃果。
ひょっとしたら眞悧は誰も幸せにはなれないが嘆くこともない。
そんな運命の乗り換えが必要ない世界を作りたいのかな?
高倉両親健在といい、今回は衝撃の事実のオンパレードだった。
陽毬も捨て子だったのか。
多蕗のときも共通の換気扇のイメージがあったってことは子どもブロイラーは実在の場所、虐待児童の施設か何かなのか。
あんな換気扇、偶然そこらに似たものがあるわけないし、高倉家隣はその跡地?
しかも陽毬を救った王子様が晶馬だったなんて!
冠葉に続いて晶馬へのイメージも崩れた。
自分でやっておいて陽毬や家のことは冠葉に任せて、苹果にかまけるなんて外道。
でもこの行動って桃果的な感じでもあるね。
晶馬の運命の乗り換えを陽毬に使ったとすると能力者はみんなたちが悪いなぁ。
この理不尽さは童話にあった女神様に由来するのかねぇ。
しかし晶馬が運命の乗り換えを使って陽毬を救ったとすると、不自然な写真とか晶馬の態度とかが不可解だ。
乗り換えならもっと自然に修正をかけられそうなもんだが真砂子でも調べられる程度なんて、意外と不完全なのか。
それとも救うまでは晶馬で、あとは組織お得意の記憶改竄ってほうが有力かな?
今回出た高倉母の顔に傷がなかったのも乗り換えなんだろうか?
これはただの整形かもしれないが。
今回の流れで言うと、真砂子が”あの家”=陽毬。と認識していたことが興味深い。
単に『冠葉がシスコンだから私を見ないんだ!』というヒステリー由来が大きいのかと思ってたけど、おそらく陽毬が来る前の子ども冠葉を唯一知っている真砂子からすると冠葉を縛る高倉家ができたのも陽毬が原因に見えるのかな。
子どもブロイラーで消える前に陽毬が『何者にもなれなかった私。』『生存戦略!』という言葉の感じからするとプリクリは選ばれなかった未来で、ひょっとしてピングドラムは乗り換えとかで生じたものをリセットする存在なんだろうか?
リセットしたら陽毬は生きてるし、桃果も事件に関わらず生きている。
そんな現在があるかもしれない。
一方で乗り換えがなかったら多蕗は子どもブロイラーで消えるかあの母親の元で生地獄だろうし、ゆりの命も危ういだろう。
冠葉やゆりならそんな今も選びかねないが、晶馬や真砂子はしないだろうな。
今回でかなり事実関係が明らかになったけどまだまだわからない。
『誰が何をしたか』は判明したけれど、”なんで”がわからないからだ。
たとえ動機がわかっても本人の意思なのか、眞悧とか裏があるのかわからない。
ピンドラからはまだまだ目が離せない。
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