『プリンセッション・オーケストラ』最終回まで見終わって:総合感想

2026年4月11日
『プリンセッション・オーケストラ』を最終回まで見終わったので感想を書きたいと思います。
*必要に応じて随時ネタバレがあります。




一言まとめ

 ワイルドアームズ2の焼き直しシンフォギア風ソース添え。

 基本的に低クオリティ。

 悪い意味で女児アニメの”皮を被った”になっていた。

 メインストーリーは盛り上がりがあったが、ストーリー全体は薄く、悪癖が悪目立ちしていた。

 光るところもあったが割合が少な過ぎた。そのために48話見る価値があるとは言えない。


ワイルドアームズ2の焼き直しシンフォギア風ソース添え

・作品全体やストーリーは金子彰史さんファン向けにわかりやすいように書くとこんな印象でした。
『シンフォギア』シリーズやゲームの『ワイルドアームズ』シリーズの金子彰史さんが”原案”止まりでシリーズ構成が別にいると聞いたときには大きな不安を感じましたが、その点は心配するほどではありませんでした。
見た印象としては「全体の構成と主要エピソードを考えただけで、各話脚本はやっていない」くらいの意味合いのように感じました。

・基本は普通のヒーローものです。女児アニメ感は大してありません。
女児向けだとプリキュアを筆頭に私生活も重視する傾向がありますが、プリオケの場合は滅私のヒーローです。
「ヒーローとは得るものは無くただ失わないために戦い、己の身を削りながらも辛さは見せず、人々を守り続ける存在」といういつもの金子ヒーロー観が基本です。
敵はただの悪かと思っていたら異なる正義を持つ集団であり、真の脅威に対抗するための手段として侵略を選んだだけでした。
最後はみんなで真の脅威を打倒してハッピーエンドです。

・実質的にはシンフォギアの派生作なので歌はあるんですが、作品としては歌が中心ではありません。
商業的な都合で付けてるだけで映像作品としてはそこが主題ではないと思います。
あくまで風味付け程度です。詳しくは後述しますが、そこが歪みにもなっています。
ストーリーやキャラクターはヒーローものや人間賛歌の要素が中心で、歌は商業的ノルマとみなし作品内容からは切り離して見た方が理解しやすい内容になっています。

・日常パートはオタク向けの深夜アニメのノリでした。
シンフォギアよりも更に2千年台のアニメ化されたラノベのノリでした。
シリーズ構成が『這い寄れニャル子さん』の原作者なので持ち味を活かしたとも言えるのかもしれません。
個人的にはこのノリは引くことが多くあまり楽しめませんでしたが、ひょっとしたらターゲット層には逆に物珍しくてウケたりするのかな?と考えたりしましたが普通にウケなかったっぽいです。
普通に滑ってたので特にそれ以上語れることはありません。

・この辺りの基本的な作りの話は1クール目終了時点で書いた第一印象に関する記事で詳しく書いているのでそちらを御覧ください。
基本的な印象は最終回まで見ても大きく変わりませんでした。


基本的に低クオリティ

・プリオケの最大の問題はクオリティが低いことでした。
コンセプトとか以前に
「話数の割に内容が少なく進展が遅い」
「動かないバトル」
「バトルの内容が雑魚退治か、幹部との決着がつかない小競り合いが9割で爽快感がゼロに近い」
と、誰がどう見てもそれは面白くない要素が放送時間の大半を占めていました。
プリオケの改善を目指すとしたら真っ先に挙がる内容が
「内容を倍に濃くする or 内容はそのままで話数を6割に減らす」
「演出面でも展開面でもバトルを面白くする」といった基礎的な内容になるでしょう。
最初に企画概要を聞いた時点では「最近あぐらをかいて腑抜けてるプリキュアの座を脅かしてほしいな」と思ったんですが、蓋を開けてみたら同じ土俵にすら立てていませんでした。


「歌」が弱い

・クオリティを除くと、大々的に打ち出したはずの中核部分である「歌」が弱かったことが致命的だったと思います。
シンフォギアのように「歌いながら戦う」ことが目に見える特徴だったはずなのですが、実装は全く上手く行っていませんでした。
歌いながら戦うどころか普通の演技からおぼつかない新人声優と、通年ものどころかオリジナル作品を手掛けることすら始めての下請けしかやったことがなかったアニメスタジオではどうにもなりませんでした。
これも試すまでもなくわかっていたことでした。本家のシンフォギアでも歌いながら戦うことをまともにできていたのは1作目だけで、監督が変わった2作目以降はただの挿入歌になっていました。
声優さんの方もシンフォギアでは「歌える声優さん」として実績のある人を中心に集めた成果なので新人で上手く行かないことも当たり前でした。
個人技でしかない事柄を誰でも扱える要素だと考えたことが根本的な誤りでした。

・作品単体の舵取りも失敗していたと思います。
止め絵連発のライブには呆れました。
3クール目になって、「今までずっと戦うばかりで普通のライブをやってこなかった主人公たちが作中のイベントで歌を披露する」という出来事でやるのが止め絵連発って…
歌ものでライブに力を抜いてどうするんですか… しかも作中でも大きなイベント扱いでこれって…


作中の存在すらあやふや…

・終盤になっても歌の扱いは微妙なままでした。
作中においては「歌とは何か?」という概念を提示できないまま終わってしまいました。
歌にまつわる展開はあったのですが軸が感じられないせいでかえって内容がぼやけてしまった印象の方が強かったです。

・ラスト3話で「今までずっと仲間として行動してきた妖精が突然裏切って世界制服を企み始めたので真意を問いただしに来た」というシチュエーションで、主人公たちが妖精との絆を歌った新しい歌を歌い始めたことに対して妖精側が「新しい歌ッ!?」と反応したのですが、見ているこっちは全然ピンと来ませんでした。
それまでの歌の扱いが、
 初変身:歌うのが好きなわけでもない主人公でも勝手に歌い始める、変身に備え付けの機能にしか見えない。
 2つ目の挿入歌:特に脈絡なく2クール目になったら最初の歌から変わってた。
みたいに特に作中ではドラマもイベントも無い変化が中心でした。
唯一あったまともなドラマも
「主人公の親友で最後まで変身しないけど協力してくれる一般人代表キャラの歌い手が、戦ってくれてる主人公たちに捧げるために作った歌でスーパー化して一度負けた相手に勝利する」
でした。それ以降も基本的に歌と言えばこの親友が作ってくれるもので、主人公たちが自分から歌を作ることも歌うこともありませんでした。
これで「新しい歌!?」とか言われても「前からあるし、だから何なんだよ。自分たちで作詞作曲できたことに関しては見てるこっちも驚きだよ」と両面からついていけませんでした。
このドラマが成立するのは「強敵にぶつかる度に新しい歌を作って乗り越えてきた」みたいな文脈がある場合だけだと思います。

・他にも妖精が生み出した過去ボスのコピーのバトル時に歌が流れることにも疑問を感じました。
作った妖精すら「力を再現しただけのまがい物」と呼んでいた存在なのに歌を流しちゃうんですか?
おまけに2クール目で本物と戦ったときには挿入歌は2つ同時に流せない都合上、ボスの登場時にEDに被せて歌を流しただけで戦闘中は主人公たちの歌しか流していなかったのにここで今更流すのかと二重に疑問を感じました。
バトル演出としても扱いが定まってない印象でプリオケにおける歌がどういう存在で、商品の紹介以外にスタッフは歌で何をやりたいのか、最後までピンと来ないままでした。


悪い意味で「女児アニメの皮を被った」になっていた

・女児アニメ風の部分がは邪魔でした。ノイズにしかなっていません。
主人公たちのメンタルが「守りし者」で
「みんなの平和を守れればそれでいい。そのためなら安らぎや楽しみなど俺には必要ない」という黄金騎士地味たメンタルなので、
「ここは誰もが楽しく好きなことができる世界アリスピア!」という舞台設定と女児アニメ成分が
「主人公たちは最近戦ってばかりで何も楽しめてないけどそれで良いの?」という疑念につながってしまっていてノイズになっていました。
メインストーリーでも盛り上がる場面は「挫折からの再起」みたいな泥臭い場面の方が多かったです。
最後まで見終わった後でさえ、女児アニメ要素が面白さに貢献していたと感じる内容が見当たりませんでした。
これなら女児アニメ風にこだわって表面的な明るさを求めるよりも、コンプレックスなど「光と闇」の闇の方も描ける自由さが有る深夜帯の方が作品にとってはプラスだったんじゃないかと思いました。

・玩具の方もやる気が無かったので商業的な面でも形骸化していました。
第一印象を書いた時点でも「玩具の品数が少な過ぎるんだけど?」と明らかな違和感を感じましたが、最後まで何も変わりませんでした。
第一印象を書いた1クール目終わり以降に出た玩具が「追加戦士の変身アイテムとヌイグルミ」のたった2つだけでした。
これでは「タカラトミー側にやる気は無かった」と結論づける他ありません。
むしろなんでスポンサーに入ったのか不思議になるくらいです。
「たぶんダメだろうけど上手く行ったらリターンが大きいからとりあえず出資しておくか」程度の気持ちでやれることなんですかね?

・仮にスタッフにやる気があったとしても成功する可能性はかなり低かったと思います。
センスが無い以前に研究した形跡が見られません。
代表例が「変身バンクの短縮」です。フルで流したことの方が少ないんじゃないかなと思うくらいに短縮版が多かったです。
プリキュアでもアイドルアニメでもなんで毎回変身バンクを入れてると思ってるんでしょうね…
変身バンクそれ自体が見どころであり、節約も兼ねているという基本中の基本すらわかっていないのでは話になりません。
これで映像面に力が入っていたならバンクに頼る必要がないとも言えたのですが、実際にはキャラ絵を崩さないことがやっとの微妙な作画とマンネリな演出が基本だったのでますます疑問が深まりました。


メイン回はそれなりに面白かった

・金子さんなので王道ヒーローものとしてはそれなりに面白かったです。
主人公たちが何のために戦うのか、敵との違いは何か。ヒーローとは強いことが存在意義なのか。人々にとってのヒーローとはどういう存在か。
22話の挫折からの立ち直りや34話で変身せずにスミレを説得、40&41話のプリンセスフェスティバルと白の女王戦などメインストーリーのクライマックス部分は面白かったです。
ベタな展開でしたが期待していた内容はしっかりやってくれたのでその点では満足できました。


”お茶会”は苦痛

・メインストーリーのクライマックスは面白かったのですが、クライマックスなので1クールに1,2回しかありません。
クライマックス以外は進展が薄く、退屈に感じる部分が多かったです。
じゃあメイン回以外の時に主人公たちがやっていることが何かと言うと”お茶会”です。
文字通りお茶を飲み、お菓子を食べたりしながら駄弁ってるだけです。
本来は「お茶会という名の敵への対策会議」のはずだったのですが、メインストーリーの進展が薄いせいで話す議題に事欠いて大半は「対策会議という名のお茶会」になっているのが実情でした。

・本当に駄弁っているだけで内容は全くありませんでした。
プライベートを描いたり戦闘中には言えない弱音を吐いたり、キャラの掘り下げすらせずギャグパートみたいな扱いでした。
しかもギャグがワンパターンで普通に面白くませんでした。
カガリのお菓子ネタ、ナガセのオタクノリ。常識人のミナモは空気。
「またこれかよ…」とうんざりする上にネタが全てオタクネタなので女児向けアニメでよくある賑やかな日常パートにすらなれませんでした。
プリオケの内容を改善するとしたら、誰もが真っ先に無くすのがこのお茶会パートだと思います。


ゲストの方が目立ってる

・メインストーリー以外の残りはゲストが中心でした。
ここまでならプリキュアなどでも珍しくない内容なのですが、プリオケの場合は大きな違いがありました。
それは「ゲストと主人公たちの関わりが薄いこと」です。
基本的に「ゲストがアリスピアを自分なりに楽しんでいたところを敵に襲われ、プリンセスが助けに来る」か、
「主人公たちの知り合いとしてゲストが登場してゲストの行動を中心に話を回して、主人公たちは『すごいんだね~』みたいな相槌係になる」かの二択でした。

・ゲストの方が魅力的でメインキャラが空気になっていたところも困りどころでした。
主人公たちはバトル以外はお茶会に食われてるため、アリスピアでの活動も個人的にやりたいことが描かれませんし、根っからのヒーロー気質なので愚痴もなく個人的目標も世界平和以外にはありません。
それに比べて趣味に打ち込んでいるゲストの方が楽しんだり、壁にぶつかって悩んだりしている姿が描かれていてずっと人間味がありました。

・ゲストをメインキャラとつなげられたら良かったのですが、実際はゲストキャラ同士の方がつながりが強いくらいでした。
どのくらい機能していないかの代表例は主人公が大切にしていた”サイン帳”です。
表向きは歌姫をやっていたカガリとナッチ以外に誰にサインをもらったかな?と真面目に思い出せないくらいにサインをもらっていません。
普通だったらゲストとのつながりを表す小道具になるものですし、実際最終回ではそういう象徴として扱われていたんですが、個人的には全然印象に無くてピンと来ませんでした。


「段階」を踏みすぎている…

・ゲームの「仲間加入イベントその1」「その2」「その3」みたいなかったるい展開を律儀に1話ずつやってしまっている点が4クールアニメとしては致命的に退屈でした。
代表例は3クール目の花の騎士の説得です。2クール目のラストで赤の女王一味を全員倒して、3クール目からは第二章の「白の女王編」が始まりました。
赤の女王編が基本的に敵の正体が謎の異形の侵略者のままで倒した後になって断片的に正体がわかった程度でしたが、白の女王編では登場直後に主人公たちとは別の正義を掲げて世界を救うために活動している人間の女の子であることが明かされました。
相手が人間だとわかり、赤の女王編が武力行使で倒したけれどすっきりしない結末だったこともあり、主人公たちは倒すのではなく相手の理解と説得を中心に動いていたのですがあまりにも段取りが多すぎました。

 謎の新たなる侵略者として登場。
→敵が自分から正体を明かして人間だとわかる。
→もう一人の花の騎士登場。
→敵を説得するけど聞く耳持たず「お前らは間違ってる。私たちのやり方だけが世界を救えるから邪魔するな!」と「主人公:理由を教えて!→敵:教えない!」の繰り返しで敵側の主張すら謎のまま*3回。
→偶然見つけた過去の情報から手がかりを得て現地に調査に向かったら、敵が活動を始めたトラウマのある場所でズカズカ乗り込まれて激昂した敵と戦闘。
→勝利して過去の経緯を聞き、2人のうち片方の説得に成功。
→いろいろあって、先に説得された方がもう一人も説得し、プリンセスに覚醒して追加戦士として仲間に。

これを8話かけてやりました。マジで1話1項目ずつしか進展しませんでした。
間の穴埋めは”お茶会”とゲストの話と延々と同じ相手と小競り合いするだけのバトルです。

・「相容れない相手にも根気よく語りかけ続け、やがて理解と和解に至る」という話でやりたいことはわかるし段階を踏む必要性も理解できるんですが、退屈さを感じる気持ちを自分でも自覚できてしまうほどのスローペースは問題が有ったと言わざるを得ません。
「必要だが段取り臭くてかったるい展開」を如何にして面白く見せるか、省略するかがお話作りの腕の見せ所の一つだと思うのですが、そういう点ではプリオケは全然でした。
良く言えば「丁寧」であり、「リアリティのある展開」でしたが、ドラマと呼べるほどの劇的さやスピード感の無い展開は率直な感想としては「面白くない」印象の方が強かったです。
個人的には全体を7割くらいに圧縮してストーリー展開を早めるか、段階を踏む部分に花の騎士の説得以外に他にも進展や起伏を設けて視聴者の展開待ち状態を減らすか、どちらかが欲しかったかなと思いました。

・この編は金子さんの「ゲーム的ストーリー構成」の悪い部分が如実に出ていた気がします。
ゲームだと新しいダンジョンやボス敵、新装備やスキルなどストーリー面以外で起伏ややることを用意できるんですけど、アニメではそうはいかないんですよね。
こういう構成自体はシンフォギアでも珍しくなかったのですが、シンフォギアは1作1クールで終わりであり、敵に負ける→次で逆転勝利みたいなシンプルな展開の連続だったので欠点がそこまで目立ちませんでした。
しかし、ただでさえ間延びしがちな4クールでは影響が甚大でした。

・3クール目は段取り臭さが深刻でしたが、1,2クール目の赤の女王編も良くありませんでした。
進展すらなく、ひたすら「プリンセスは順調に育っているようだな。計画どおり…全ては我らが女王の御心のままに」と敵側ペースで進展待ちするだけだったので停滞しきっていました。
全体としてはラスト7話しかなかった最終章が一番マシでした。
あれくらいトントン拍子にサクサク進むくらいの方が基本進行で良かったと思います。


基本的に「皮算用」

シンフォギアはベテラン/人気声優中心でライブコンテンツが継続しづらかった。今度は新人の青田買いで長期的に稼ぎたい。

基本は深夜アニメのノリだけど女児要素も入れて女児にも売れたら儲けもの。

制作スタジオは今まで通年物どころかオリジナル作品の経験すら無いからここで実績を作っておきたい。

・企画として作品全体を俯瞰的に考えてみるとこんな考えで作られていたのかなという印象です。
面白い作品を作りたいとか、こういうメッセージを伝えたいとか、そういう思想性よりも「企画を当てたい」という思想の方がずっと強く伝わってきました。
論理的に考えると最初から上手く行きそうもない事だらけです。それでも全部ゴリ押そうとした以上は「そうじゃないと困るんだよ」という制作側の都合以外は感じることができません。
まぁヒット作が原作付きだらけでおまけに1クールアニメばかりの今どきの環境では新規IPのオリジナルアニメなんて通すにはこれくらいの強欲な商業的目算が無いと成立しないのだろうという事情はわからなくはありません。
でもシンプルに面白いかどうかって話で言うとそんな事情はどうでもいいんですよね。まして子どもにとってはファンタジー世界よりも遠いお話でしょう。
発表された時点で「そんな上手いこと行くのかね?」と冷ややかに見ていましたが、終わってみれば想像以上に話になりませんでした。


総合感想


ゲスト同士のつながりと広がりは良かった

・メインストーリーのクライマックス部分を除くと、ゲストはそこそこ好きでした。
主人公たちの掘り下げにつながらないなど大きな欠点もありましたけど、その分、主人公たちとの接点にこだわらずに好きなことを自由にやれている様子は魅力的に感じました。
この手のゲスト話だと主人公たちを絡ませようとするとどうしても「主人公たちと共通性のある趣味」「主人公たちによるお悩み解決」になりがちで話の幅が狭いんですよね。
実家の道場が寂れているのでカンフーと踊りをミックスしたダンスを考案して広めたい武闘家ちゃんとか、1人で黙々と音楽に打ち込んでるサックスちゃんとか、マジで主人公たちが1ミリも関わらないまま終わりました。
踊ったり歌ったりは苦手だけど得意な発明を活かしてる博士ちゃんや、イベント企画などを考案して他のゲストを巻き込んでプロデューサー業を楽しんでいた企画ちゃんはわりとプリオケにしか出せそうにない味わいが感じられました。
プリンセスフェスでもそうでしたけど、接点が無く偶然その場に居合わせただけのリップルのファンの子とサックスの子が即興で組んで歌ったり、コスプレ好きな2人と演劇部の子がいつの間にか組んで合同でお芝居をやっていたり、そういう主人公たちと関わりのないところで勝手に進展していく姿は世界の広がりが感じられて好きでした。
このゲストの扱いに関してだけはプリキュアとの大きな差別化ができていたと思います。

・ゲストたちの関係はストーリーとも無関係ではなく、最後の最後では元気玉展開につながっていました。
点と点が線を結ぶにしても全48話は気長過ぎる構成だったと思いますが、戦いで自分が得るものは無いヒーロー気質の主人公たちの傾向とも合っていたと思いますし、こういう方向性をもっと伸ばしていった方がプリオケには合っていたんじゃないかと思います。
主人公たちがアリスピアを話しながら歩いていくその背景でゲストがそれぞれの人生を歩んでいて、パフォーマンスをしてる子の観客が段々増えていったり、イベント開催のポスターが張ってあったり、武闘家ちゃんがダンスの双子の踊りを熱心に見て勉強していたり、リップルのファンの子が「リップルファンクラブ会員募集中!」と看板を立てていてそれを見たミナモが照れたり、
そういった変化や成果を間接的に描いていけたら1年という長丁場を活かしやすかったし、なかなか進まないメインストーリーの間を持たせることにも貢献できたんじゃないでしょうか。
みんなが集まるアリスピアという場にも意義を持たせることができたでしょう。


アリスピアン

・アリスピアンもわりと好きでした。
雑踏のモブか賑やかし役でしかなかった序盤は時間を割く意義が薄いと思いましたが、花の騎士編でアリスピアンが意外とネジの外れた思想を持っていることがわかってからはキャラクターとしての深みが感じられました。
NO趣味NOライフ! 無為に命を長らえるくらいなら死ぬリスクを負ってでも好きに生きるぜ!
なんて覚悟を持って取り組んでいるとは思っていなくて印象がガラッと変わりました。考え方としては個人的には一番共感できる存在でした。

・トーマとドドメさん以外のアリスピアンにこれといったエピソードが無かったことはもったいなかったと思います。
人間側がネームドゲストが中心で、モブ中のモブの存在が薄いことですし、モブ枠をアリスピアンで補うとバランスが良かった気がします。
種族由来で芸能が苦手という特質もあることですし、挑戦や失敗、上手くいかなくても楽しんで趣味に取り組む様子などを描くにはちょうど良かったんじゃないかと思います。
マスコット然としたビジュアルのおかげで多少暗い内容でも深刻ぶらずに済みますし、見た目で印象付けることで台詞や出番が少なくても「ダンスやってるあの子だ」みたいに個体認識させることも難しくないでしょう。


主人公たち

・主人公たちは基本的にドラマが全然ありませんでした。
ミナモのお菓子作りは出番が数えるほどでアリスピアンの真相を明らかにする口実に使われた感じの方が強かったです。
最初から人格が完成してるカガリはまだしも、不完全でメンタルも不安定な存在として登場したナガセまで何のエピソードも無いまま終わったことには驚きました。

・ナガセのコンプレックスはプリキュアでも一年かけて個人エピソードとして扱ってもおかしくない要素だったと思うんですけどねぇ。
ヒーローものをやる上でも「私にしかできないことを見つけた! ヒーローが私の天職だったんだ!!」みたいにヒーローにやる気を燃やすキャラにすればまとめやすかったと思います。

・やれることはあるのにほとんど手つかずで終わっていて、やったことがよりにもよって”お茶会”なので今の今になっても「いったいなんでこうなったんだ…?」と困惑する部分が多いです。
実質的な主人公の立場をナッチに吸われたとはいえ、なぜここまでエピソードやキャラクター性に欠ける造形になったのやら。
ヒーロー以外の人物像が描かれなかったせいで、明確な目的や主張が描かれた悪役よりも影が薄くなってしまった印象です。
「48話の間に戦う以外に何をやってんだっけ?」と考え出すと真っ先に浮かぶのが”お茶会”なのがとても辛いです。
「そりゃダメなわけだ…」と絶望することしかできません。

・花の騎士の2人は典型的な追加戦士で「加入エピソードで個人エピソードを全部消化し終わってた」ってタイプで終わっちゃいました。
白の女王編は白の女王の主張も含めて話にノれませんでした。
個人的には「アリスピアはアリスピアンのものであり、人間はアリスピアンが好んで招いている客人に過ぎない」
という認識なのでアリスピアンがリスクを背負ってでも今の状態が良いと言っているなら花の騎士も白の女王も口を挟む資格が無いと思いました。


考察

・最終回まで見てから作品の全体像を考えた結果、思っていたよりも最後の結末ありきでお話が収束していくテーマ性が強い構成だったように感じたので考察として自分なりにまとめてみることにしました。

「やりたいことを応援する」が主軸

・最終回のゴールを軸に考えていくと、「やりたいことを応援する(肯定する)」ことがテーマだったのではないかと思いました。
作中の基本概念である「ミューチカラ」自体が偉業を成し遂げたかどうかなど客観的価値ではなく、主観的にやりたいことをやれているかどうかで湧き出す力でした。
最後の最後に倒せないはずのキャロルを打ち倒したのは個々人の力ではなく、世界中の人々から集まったミューチカラによるものでした。
舞台であるアリスピアの特色は「何でもやりたいことができる場所」ですし、作中の悪は自分の正義を掲げながらも共通して「自分の考えを他人に強要する」ことをもって悪と断じられていました。
アリスピアンの生き方である「趣味のためなら死んでもいい!」という方針に主人公たちが全く口を挟まなかったこともアリスピアンの生き方を”肯定”したからだと思われます。
最後にミナモと切り離されて具現化したリップルをミナモが応援したり、最終回の次回予告パートで「番組は終わっても私たちはずっとみんなを”応援”してるよ!」とわざわざ言っていたのもメタ的な意味での総決戦だったからだと思います。

・作中のメインストーリーの流れと結末もこの仮説の裏付けになると考えます。
■バンドスナッチと赤の女王
・相手に戦いを促されるがままに戦った。ナッチの応援のおかげで勝てたが、敵を殺しただけで何もわからないまま。
(排除は肯定の真逆のアプローチであり、相手に流されるのは主人公たちに主体性=やりたいことが無いからダメダメ)

■花の騎士
・戦うしかないと言う花の騎士相手に対話するために殺さず無力化に留める。スミレの事情を知ることと説得に成功。
(相手が戦うことを望むなら同意して戦いはするが、対話のための手段として主体的に用いる。またスミレたちの感情を尊重して、「ダメだからダメ!」と自分たちの考えを押し付けるのではなくスミレにリリの説得を委ねる)

■白の女王
・未来予知で見た定められた終焉を避けるためにディストピアを作ろうとする白の女王に対し、人々のつながりから生まれた可能性の力で勝利したプリンセス。
(やりたいことを抑圧=応援の真逆をする白の女王を、人々の多様な趣味=やりたいことの集合の力で打ち倒す)

■ナビーユ編
・変身という戦う力を失ってもナビーユとの対話のために戦地に赴く。
(相手の主張に乗らず、自分の信じた道をリスクを背負ってもでも進み、敵だったはずのバンドスナッチから”応援”されてナビーユに対抗できるだけの力を得る)

■キャロル編
・現象相手では対話を望む余地は無く、戦いも終わりが見えないが、最後まで諦めないその行動が人々の心を動かし勝利を招いた。
(プリンセスや白の女王編でも力を貸したゲストだけでなく、バンドスナッチや女王たち、ナビーユ。それに人間界の人々やアリスピアンに入れなかった男性や大人の女性などアリスピアンという世界の枠組みも取り払ったより多くの人々の集大成)

・どのパートでも基本要素は一貫しており、主人公の行動も明確な方向性を持って章ごとにに発展していっているのは明らかだと思います。
基本的には、わかりやすい化け物(ジャマウォック、アリスピアにいないはずの男性の姿をしたバンドスナッチ)と戦うヒーローもの、そして「善と悪」からスタートして、

赤の女王編のラストで化け物だと思っていた侵略者がアリスピアンと元プリンセスであり彼らの信じる正義を持って戦っていたことを知り、続く花の騎士編では早々に同じ人間の女の子でアリスピアを救うために戦っていると正体を明かして善と悪ではない「それぞれの正義」へ変わり、

白の女王編ではNO趣味NOライブの覚悟を持って生きるアリスピアンを担保として白の女王の正義を否定し、アリスピアンや女の子によって立つ主人公たちの正義を肯定する。

ナビーユ編では「敵と味方」という多様性を阻む認識の壁を更に取り払い、「プリンセスがバンドスナッチに肯定される」というわかりやすい逆転現象も用意されていました。
そして女王のように他者を犠牲にするわけではなく、自分だけが生贄になることで事態を解決しようとしたナビーユの自己犠牲も否定することで「自分がやりたくないことは客観的に良いことでもするな!→自分が本当にやりたいことをやれ!」」と当初はわかりやすいガイドラインとして掲げたヒーロー性も否定し、本来の主題である「応援=肯定」を浮き彫りにする意図があったと思われます。

最後のキャロル編ではキャロルや暴走するジャマウォックといった意思を持たない現象に対し、プリンセスやバンドスナッチの力だけでは勝てなくても、ナッチ1人の配信では足らなくても、一人ひとりの行動がまた別の人を動かしていき、やがて大きなうねりとなって意思を持たない現象を上回る人々の意思の力で打ち勝つという本作の総決算でした

・こうして考えをまとめてみると、今まで「これは何のためにわざわざやってるのだろうか?」と疑問に感じていた部分もだいぶ納得がいきました。
ミナモのキャラ説明で「がんばっている人を応援すること」が特筆されていたことはそのまんまの意味でしたし、プリンセスたちがアイドル活動など自分の趣味に関心を見せないことも実質「自警団もやってる”応援団”」だったからのようです。
プリンセスたちにヒーロー活動以外に自分たちのやりたいことをやらなくていいの?と疑問を持つことは、応援団に対して「他人を応援してばかりだけど、自分たちも野球したいとか思わないの?」と疑問を持つようなナンセンスなことだったようです。
応援することが好きなんだから応援してれば満足で、むしろ他の事に対して関心が薄いくらいだったんですね。
メタ的に考えるなら作品としては「応援」がメインで、「やりたいこと」は応援する対象が必要だから存在しているだけなので基本的に応援する側である主人公にはやりたいことは応援以外に不要だったのでしょう。
基本的にはシンプルな人間賛歌の類と考えて良いと思います。


歌が邪魔

・上記の考えをまとめた時点で次に思ったことが「歌が邪魔」ということでした。
プリンセスは歌の力でミューチカラを高めて戦う設定だし、一般人代表ポジションのナッチも歌手だし、商業面や企画面では疑う余地もなく歌がメインもメインでした。
そんな歌が最終的には邪魔に感じられるとは予想していませんでした。
見ている間は「歌を上手くストーリー展開に取り入れられていない」と思ってきましたが、実際にはそれどころかストーリーを作っている側にとっては邪魔なノイズそのものだったようです。
始めに歌ありきの企画としては常識外れです。

・でも内容から考えると当然なんですよね。
「趣味に貴賤は無い。どんな趣味かも、クオリティも関係ない。自分がやりたいと思ったならそれが一番だ!」
という主張と、実際のプリオケの「歌が世界を救う」みたいな流れと矛盾していますからね。
プリフェスや最終回でも台詞の上では貴賤の無さを説いていても、ストーリーの割合や演出では歌だけが明らかに目立っていました。
そこの矛盾はテーマの伝わりにくさという点でも、テーマを踏まえた上でも作品の内容としても大きな壁になっていたと思います。
一番目立っている要素をノイズとして処理しろって言うのは無理があります。
そこはストーリー単体で考えても明らかに失敗していたと思います。
最終回の陸上の子が「走ってるだけでなんか周囲の風景が輝いていく」みたいな謎光景ではなく、もっと具体性と積極性をもって描いていく必要がありました。
テーマ的には音楽の万能さを否定しておきながら、実際にはカリストと出会ったサックスの子やプリフェスや最終回など主要なイベントを音楽関係の趣味に頼ったことは大きな間違いだったと思います。

・歌を上手く取り入れなかったことでわかりにくさや盛り上がりの無さにつながったことは二重に皮肉だと思いました。
「なるほど。確かに”肯定すること”は大切だったようだね」と奇しくも有言実行に失敗した主張がブーメランになって刺さっているように感じたところもありますし、
「全部上手くできてたら面白くなっていたかもね」と主張の正しさを部分的に実感できたところもありました。


やっぱりクオリティ不足が問題

・いろいろ考えましたが、結局は最初に言った「クオリティ不足」という問題に立ち返ることになりました。
テーマと歌は両立不可能というわけではなかったと思います。
同じ歌が好きでも「自己認識でも凡人だが好きで歌い続けているミナモ、実力も才能もあるカガリ、人マネは上手いがオリジナリティの出せなさや自分のやりたいことがわからないことがコンプレックスのナガセ」
みたいに歌にまつわる悩みや考え方だけでもバリエーションは出せたし、歌で統一するからこそ価値観の違いや歌でやりたいことの違いなど人にまつわる普遍性を描くことにつなげる道筋も有ったと思います。
他の趣味とのつながりという点でも、「主人公たちの歌に触発されるゲスト」「ゲストに触発されて新しい歌や力に目覚めるプリンセス」みたいに相互性を描くことは可能だったと思います。
博士ちゃんなんかは単体で状況を動かせるトリックスターになれる存在だったから、最終回の内容を踏まえるならサポートの大道具係にせずに独立して大きなことをやらせて動かしていく手もあったでしょう。

・比較的まとまっていた最終回周りも男性や人間界周りは全然具体性を感じることができませんでした。
「女の子だけアリスピアだけより、男も大人も人間界も含めた方が世界は広がる」という話が「理屈ではそう思う」程度の印象で終わってしまったことは説得力が弱かったです。
個人的にはミナモの弟くんをもっと活かした方が良かったと思いました。
男性であり、人間界のみの出番のキャラの中では出番が一番多いくらいだったと思います。
人間界で女性以外にも動画チャンネルとしてアリスピアの存在が知られ始めた頃に「姉ちゃん、アリスピアって知ってる?」みたいに狂言回しにも使われていましたし、そこをもっと広げていけば労力を最小限にしつつ描けたと思います。
たとえば、「動画から歌やダンスに興味を持ったり、趣味を始める→時々背景で趣味に打ち込んでいる様子を映す→最終回でミューチカラを迸らせている様子を映す」
みたいに段階を踏んでいけば説得力はいくらか増したと思います。
主人公の弟で小学生くらいのショタなら、女児アニメとしても反発はできるだけ抑えられるポジションだと思いますしこの結末に持って行くなら活かさない手は無いと思います。
ゲストのつながりや主人公たちの日常もそうなんですけど、内容が薄いのに目に見えるできることをやれてない感じは印象が悪いです。

・最終回まで見てようやく伝わってくる構成は悠長過ぎるからもっとこまめにわかりやすい節目を用意するべきだったとか、ここまで掘り下げて考えてもやっぱりお茶会は要らなかっただろ!とか、実装面での問題はフォローできていませんし、やっぱり全体としては出来栄えが良くなかったと言わざるを得ません。
「意味がわかれば面白い」は「途中まで意味がわからないからこそ面白い」こととイコールではありませんからね。
「なんとなく見ても面白い」、「意味がわかるともっと面白くなる」が健全です。


金子彰史さん好きか、実験作が好きな人以外にはオススメし難い

・金子さん原案がどんなものになるかと興味本位で見てきた私としてはそれなりに収穫がありましたし、好きになれる部分もある内容でしたが、客観的にオススメできる内容ではありませんでした。

・ゲスト同士のつながりや広がり、一年を通してテーマを描く構成などは最近の女児向けアニメでは珍しい試みであり、一定の成果を挙げていたと思います。
そして反面教師になる弊害も少なくありませんでした。
個人的にはエンタメや販促を軸にして客観的に考えた場合には、弊害の方が大きかったかなと思います。
「失敗からも学ぶこともあって面白い」みたいに思える人以外は、漠然と見ても展開の遅さや歌が邪魔になっているなど全体のまとまりの無さに閉口する可能性の方が高いと思います。


このままだと金子さんは心から満足がいく作品を作れそうもない

・金子さんはSCEと決別して自分で興した会社も離れ、今は音楽家の植松さんの会社に所属しているみたいですが、先にストーリーを完成させてから作ったはずのプリオケでこれだと金子さんが望むような作品を作ることは難しそうだと思いました。
植松さんの下にいる限りは音楽要素を入れないことは不可能でしょう。
プリオケの有り様からすると金子さんが上手く折り合いを付けることも実現は難しそうです。
本業のゲームである『アームドファンタジア』が上手くいくと良いな、という思いが強まりました。






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