『仮面ライダーゴースト』 第35話「真価!楽しさの力!」:感想

2016年6月12日

【ストーリー】

■これがゴースト…!
・いつもながら話のつながりが奇怪でした。
他人の楽しい思い出を読み取って「これが楽しさ…!」と理解するタケル。「タケルには楽しい思い出がないのかな、宇宙人かロボットだったのかな?」 と思っていたら最後にタケルの思い出が回想されました。なぜそれを先に持ってこなかったのでしょうか。どうやらこれが楽しさというものらしいなんて曖昧な考えを「人間の無限の可能性」と言い切りながら次々と敵を蹴散らしていくタケルが不気味に見えてしまいました。
タケルの思い出を最後に持ってきたのは「昔やった手巻寿司パーティは楽しかった。でもタケルは幽霊なのでご飯が食べられません」という話で切ないオチにしたかったのだろうけど、これまでのゴーストにはアラン以外の食事シーンがないので成立しないのはわかりきっているはずです。本当に構成が理解しがたい内容でした。

・結論が「仲間がいれば楽しみが広がる」なのに、具体例が「子供に興味を持ってもらうための科学ショー」だったのも理解できませんでした。
子供は見知らぬ他人の象徴であって”仲間”要素は全然ないと思います。話の流れからすると、「科学は一人で研究してても楽しい。二人(教授兄弟)で協力して研究すると一人では思いつかなかった考えが浮かんでもっと楽しい。それを他人(子供orアカリ)に見てもらって喜んでいる様子を見るともっともっと楽しい」といった流れにするほうが自然だったと思います。何をもって仲間と言っているのか定義が私には理解できませんでした。

・偉人であるグリムがそんな一般論みたいなものに感動したことはもっと理解できませんでした。
楽しさが何たるかも理解してない人が広く愛されてきた童話集を作り上げたと言うのでしょうか…? そんなことはないでしょう。偉人で教授だからグリム兄弟は大げさに褒めるのも上手いということだったのかもしれません。偉人だからすごくて当たり前ですね。

■ゴーストらしい展開
・今回の事件の被害者は教授以外に学生(?)がいました。
どうするんだろうと思っていたら完全無視でした。いつの間にかいなくなってました。あの人たちは無事に逃げられたのでしょうか…
興味を持った相手以外はどうでもいいところが実にゴーストらしい展開だと思いました。タケルたちってよくそういうことしますよね。でも毛利さんはそんなところまでマネしなくていいと思います。

■ガンマイザー
・今回のガンマイザーのバトルを見ていて状況が理解できず戸惑うシーンがありました。それはガンマイザーが片方だけ偽物だったことです。
ガンマイザーかと思ったらスペリオルを素体にした偽物?で、てっきり両方偽物でそのためにアデル顔ガンマイザーが来てるのかと思ったら水のほうは本物でした。
何が何のためにどうなっているのか全然状況がわかりませんでした。「炎のガンマイザーのはずなのに倒したら水になって中からスペリオルが出てきた」という状況から考えると、「本物の水のガンマイザーが水を使ってスペリオルをコーティングして炎のガンマイザーに見せかけていた」という状況だったのだと思われます。そうだったとしても「コーティングするだけでスペリオルがガンマイザー並の強さになるなら両方偽物にして後ろから操ったほうが安全にデータを取れるのでは?」といった疑問は消えません。どういう状況だったのでしょう?

・ガンマイザーに関しては私が気づきもしていなかった事実が東映公式ページで明らかにされました。
 実は34話でガンマイザーの声をご担当の大原さやかさんはオールアップ。ガンマイザーの進化を表現するために、この話の途中から声をアデル役・真山明大さんがあてることになりました。 
いや~、まさかあれがガンマイザーの進化を表してなんて考えもしませんでした。今回のバトルのあれこれも進化の一端で説明が付きそうです。きっとタケルの母親と同じ声だったことにも意味があるんでしょうね。


【アクション】

■ムゲンフォーム
・これで3回目の登場なので一応、感想を書こうと思います。
ムゲンフォームに特徴がないことに驚いています。武器を自在に出すのは通常のゴーストでもできるし、キックも普通。パンチはゴーストとしては珍しいけど、ネクロムがやっている。強い(らしい)という以上の特徴が見受けられません。
今のところ手からエネルギー弾を出せるのが最大の特徴に見えます。「特性が光で手からビームを出せるってそれはライダーじゃなくてウルトラマンなのでは…?」などとヨタ話を思いついてしまうくらいぼんやりとしています。スタッフがムゲンフォームをどうしたいのでしょう。

・差別化ができていないと言えば、ディープスペクターのフォームチェンジも違いがわかりません。
前回はノブナガ、今回はツタンカーメンを使いましたがどちらも普通のディープスペクターとの違いがわかりませんでした。特徴的な動きもないし、ツタンカーメンなら異空間を操るなど特殊な能力も見受けられないし、必殺技もディープスラッシャーで発動する以外は特に変化なしでした。見どころはどこなのでしょう? 映像化どころか企画会議の段階でどんな特徴があると説明をしたのか想像もできません。


次回は唐突なアイドル回です。どうやら坂本監督の病気発動の模様です。坂本監督を起用した以上仕方ないですね。これまでの監督の奇行の数々を思い出して、受け流すための覚悟を固めておきます。
それにしても最強フォームが登場したばかりのこのタイミングでギャグ回を二連続で行うなんて、余人には想像もつかない発想です。シリーズ構成の福田さんが8話も欠場しているし、いったい何を考えているのでしょう。劇場版のせいだけで最強フォーム登場回の前後まで投げるとは思えません。ラスト8話連続登板くらいしてくれるのでしょうか。


コメント

18 件のコメント :

  1. OPクレジットに西村和彦さんの名前が出たときは、メインストーリーがいくらか進展するかと期待したら、あんなどうでもいい回想にチラッと出ただけとは…演者に対するリスペクトもないんですかね、スタッフには

    タケルが食事できないなんて完全に初耳なんですが、今までそれを示唆する描写って一度でもありましたっけ?

    坂本監督二回目の登板ですか…ムゲン魂やディープスペクター素体のフォームチェンジも監督なら上手く特徴付けしてくれるのではと、そこだけは期待しています。

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    1. >OPクレジットに西村和彦さんの名前が出たときは、メインストーリーがいくらか進展するかと期待したら、

      それは気の毒でしたね。これまでタケルの父親に関しては非日常的描写しかなかったので、ああいう日常的な描写も価値があることはあるはずなんですけどね。35話になって初めてやることじゃないんですよね…

      >タケルが食事できないなんて完全に初耳なんですが、今までそれを示唆する描写って一度でもありましたっけ?

      私が記憶している限りではテレビ本編では一度もなかったと思います。
      記事の本文に私が書いたのは、そういう意図を持たせたかったのだろうという推測です。
      論理的証拠としては、ゴースト化しているタケルが眼魔のアイコン体と似た存在であることが説明されています。アイコン体が食事を取らないことはアランやジャベルの件で明らかです。タケルもまた食事が必要ない身体であると考えるほうが妥当だと思われます。これは”必要なくとも食べれるのかどうか”とは関係ありませんが。

      >ムゲン魂やディープスペクター素体のフォームチェンジも監督なら上手く特徴付けしてくれるのではと、そこだけは期待しています。

      そうだと良いですね。
      全体の雰囲気からして監督の手癖全開な印象なので、また生身アクションやバイクアクションなど明後日の方向に力を入れるのではないかと身構えています。

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  2. 別に伏線ではなかったんでしょうが、たこ焼きパーティーや餅つきの時タケルが食べている描写は無かったですね
    唐突過ぎてあまり感情移入出来ませんが、自分は「切なさの演出」というより「早く生き返って、皆と同じ状態で楽しさを感じたい」というタケルの想いなのかな?と感じました
    ムゲン魂は確かに体の粒子化位しか特殊能力が無かったですね 公式HPで書いてあった能力を色々使って欲しいです

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    1. >自分は「切なさの演出」というより「早く生き返って、皆と同じ状態で楽しさを感じたい」というタケルの想いなのかな?と感じました

      楽しさ優先ですか。今回の話の流れから考えるとあり得ると思います。
      私の場合、楽しいとか生き返りたいという思いがタケルにあるのだろうかと懐疑的に思っていますが。

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  3. 続投すみません
    どうやらムゲン魂は「まだ進化の余地がある姿」らしいです
    今は特徴が無くても、これから登場するかもしれません

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    1. 進化の余地…ですか。設定を考える人はともかく、アクションスタッフに進化の余地があるのかが疑問です。謎ビームや謎バリアが有りなら、現時点でもやりようはいくらでもあったように思います。出し惜しみするほどすごいものがあると良いのですが。

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  4. 今回もヤバかったですね。見ながら思わず「…ヤバい」と呟いてしまいました。これでテーマが「楽しさ」なのが痛快ですね。製作に携わった方全員に、本当にこれが楽しいと思ったのか問い詰めて回りたいです。

    まだ10話以上残っていますが、ゴーストのこの惨状はどこに責任があるのでしょうか?ここ数年、ライダーは年々悪化してきているように感じます。販促すらろくにできていないような状況は恐ろしいですね。クウガくらい番組の作り方を変えるといった劇薬を使うくらいのことが必要になってきているのではないかと感じます。

    次回は坂本監督のようですが、少々危険でも坂本監督を多用するくらいの力技でも使わないと最後まで乗り切れないんじゃないですかね。ギャグ回がずっと続いて最後でムゲン魂がガンマイザーを殲滅してハッピーエンドとかのほうが気持ちよく終われる気がします。

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    1. >製作に携わった方全員に、本当にこれが楽しいと思ったのか問い詰めて回りたいです。

      座談会が見てみたいものです。面白いというのなら具体的に語ってほしいです。

      >販促すらろくにできていないような状況は恐ろしいですね。

      販促に関してはノウハウがあると思うので非常に不思議です。特に挑戦的なことを試みているわけでもないのに、普通以下になるのはどういう理屈なのでしょう。

      >次回は坂本監督のようですが、少々危険でも坂本監督を多用するくらいの力技でも使わないと最後まで乗り切れないんじゃないですかね。

      監督を変えることで状況が変わるならそれも良いかもしれません。

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  5. 「楽しさ」と聞いてふと思ったことを質問します。
    管理人は楽しいから戦隊やライダーを見ているのでしょうか?
    楽しいからブログを書いているのでしょうか?

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    1. 何度も聞かれた質問ですが、答えは変わりません。「YesでありNo」です。
      基本的にはアクションのキレと販促とストーリーの折り合いをどう付けるかに魅力を感じています。しかしこれはシリーズの傾向であって、個々の作品もそうであるとは限りません。つまり当たりハズレがあります。自分にとってハズレだった場合には楽しむことは困難です。

      そこで役に立つのがシリーズという引いた見地から見ることです。
      面白い作品もそうでない作品もサンプルの1つには違いありません。両方を見比べることで、何が面白いのか、自分が何を好むのか、面白いと思うものだけを見続けることでは理解できないことを発見できます。

      ブログに感想を書くのは楽しむためのプロセスの一環です。
      分析しようとすればよく見て、よく考えなければいけません。しかしそれは大半が徒労に終わる行為です。漠然とした大目標だけで続けることはできません。そこで各話感想を書くわけです。書くからにはいい加減に見て書くわけにはいきません。人為的にモチベーションを生み出すための手段です。


      もう1つ別の側面の理由としては、何が好きで何が嫌いかも書くことでレビューとしての価値を持たせるためです。
      私は見る価値があるのか迷う映画があったときにはよく他人のレビューを参考にします。そのとき、「面白い」しか書いてないレビューやつまらないと思った作品について書いていない人はあてにしません。面白いかつまらないかは好みによるところが大きいと思います。基本的にはレビューを参考にすることは「この人が面白いというのだから面白いのだろう」と信じることだと私は考えます。
      自分にとって普通だった作品を面白いと書いていたらその人の面白いのハードルは低く信用できないとみなします。逆に自分が面白いと思った作品をあまり面白くなかったと書いていても、そう思った理由が的確であればその人の見る目は信用します。レビューを書いた人の人となりを知るためには、面白いと思ったこと以外に何をつまらないと思うのか、何を普通だと思うのかも重要な判断材料だと私は考えます。

      各話感想とは関わりの薄いことですが、内容が普通で大して書くことがなくとも記事にするのはこれが理由です。「この作品は良くも悪くも書くことがなかった」というのも見る人の判断材料になります。

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  6. 他の人の感想ってどれくらい見てるんですか?

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    1. 「全体の出来栄えはともかく少なくともこの要素は面白そう」と確信できるものがあれば自分で試します。収穫があるのか怪しいものはだいたい下見します。
      確認する範囲は「ここが不安」という要素だけ確認することもあれば、あまり乗り気でないのでネタバレ有りでも全然構わないのまで作品によっていろいろです。

      なお、今放送している番組に関しては基本的に見ません。

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  7. 以前管理人さんは、戦闘中に一切台詞を発することなく黙々と怪人を倒すアギトのことをサイコキラーみたいと称してましたが、今回のムゲン魂の戦闘シーンを見ていて、私もそれに近いような感覚がありました。ただでさえ考えていることが分からないタケルがさらに得たいの知れない存在に思えてしまいました。特徴らしい特徴のないアクションのせいでそれがさらに助長されているのかもしれません…

    素朴な疑問なのですが、アクションシーンにおける脚本家と現場スタッフの仕事の配分みたいなものはどうなってるんでしょうか。例えば井上敏樹氏は戦闘シーンの描写がかなり淡白なことで知られてますが、ファイズのアクションなどは毎回かなり見応えがありましたし、結局は現場の努力が全てなのかと思えてきます。逆に戦闘中の掛け合いなどがシナリオの段階で事細かに決まっている方が現場もよりスムーズに動けるとか、そういうことはあるんですかね。

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    1. >今回のムゲン魂の戦闘シーンを見ていて、私もそれに近いような感覚がありました。

      似ているところはありますね。アギトは思考が完全に謎で、タケルは描写はあるものの理解しがたいという違いはありますが。

      >素朴な疑問なのですが、アクションシーンにおける脚本家と現場スタッフの仕事の配分みたいなものはどうなってるんでしょうか。

      明確な答えは私も知りません。
      アクションに関しては基本的に撮影側が決めるのは確かだと思います。ライダーや戦隊の脚本で決めるのは展開までだと思います。どんなシチュエーションで戦いが始まって、どんな過程を経て、どう決着がつくか。そこまでだと私は考えています。

      あとは脚本家によりけりだと思います。
      撮影側がイメージしやすいように自分のイメージした展開を文章で書いておく人もいれば、どうせ撮影側に変えられるんだからと必要最低限しか書かない人もいるのでしょう。
      どちらが撮影側にとって良いのかは監督によりけりでしょう。坂本監督みたいに脚本側で必要だと思ったストーリーを削って、代わりに自分のやりたいシーンをねじ込む人もいるのですから。

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  8. コメント失礼します。
    ゴーストについてですが、最早擁護出来るレベルじゃなくなりましたね……
    何が一番腹立つかというと、公式サイトで大原さやかさんがオールアップしたことです。
    見た時、は?と声を出したと同時にゴーストはもうダメだ……と諦めました。
    たかが、「排除」「消去」の為だけに大原さん出してんじゃねえよ!もっとガンマイザーのボス格みたいなので沢山喋らせろよ!とぶちギレました。
    歯並びおじさん然り、大帝陛下然り、フミ婆然り、言い味を出せるキャラを此処まで台無しにされると、嫌味にしかなりません。
    粗の多い鎧武でも、それぞれ味は出てました。
    でも、映画はライダー初の諸田監督なのでどういうものか未だ分からないので、楽しみです。
    失礼しました。

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    1. 進化したそうなので仕方ないですね。最強フォームが出たらそれ以前のフォームが出てこなくなることと同じなのでしょう。

      個人的にはだったら最初からアデルの声にしたほうが安く済んで良かったんじゃないかなぁと思います。ストーリー上の理由があるんでしょうかね?
      一応、「最初にアデルの姿だけコピー→アデルの声までコピーしたタイミングで命令無視」と、なっているのでガンマイザーがアデルをコピーし終わって独立する流れと見ることはできますが。ゴーストだと描写に意味なんてないことが珍しくないので眉唾ものです。

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  9. この流れを見るに、
    楽しさをはじめとした人間の感情は無限→だからムゲンには無限の可能性がある!
    と強調したいんですかね。人間の感情がどうのこうのなら、ガンマイザーには偉人アイコンで対抗する必要がなかったんじゃないかと。「タケルの無限の可能性」を見出していた龍には、それが分かっていたことになりますから。ムゲンを出現させるためにも、別に偉人アイコンはいらなかった。

    タケルが「仲間がいれば」と言うのは、ムゲンの感情が仲間7人からもたらされたからなんでしょうね~。ムゲンの強さと、物語上の感情をリンクさせる必要があるみたいですから。これからもタケルの主張には「仲間がくれた感情!」と言うのがノルマとして入ってくることでしょう。

    ゴーストでは興味を持った被害者ですら、途中で忘れてしまうから性質が悪いものです。事件を大きくした割に、収拾がつかないというのがパターンと言うか。

    炎のガンマイザ―はムゲンが完全に倒したはずなのに、再登場しても特に驚かれてなかったような…。実はアギトとアナザーアギトのように、視聴者目線では同じスーツでも、作中人物には15種類のガンマイザ―に見えてるんですかね(笑)

    アギトは目覚めたばかりの頃は、無意識に本能のまま戦っていたと記憶してますが、ムゲンは…。アギトでも後期になると、戦闘中に武器のロックを解除できない氷川さんに焦れるとかの感情表現はありましたが。ムゲンは感情を力に変えてるはずなのに、何の熱さも感じられないのはまずいですね。体を光の粒子に変換することもできたんでしたっけ。こちらは汎用性の割にCG代のかかりそうな能力で、なんで予算が目減りしてる今出したのか謎です。そのうち、「なぜ光粒子になって移動したり、回避したりしないのか」と突っ込まれるシーンが来ることでしょう。

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    1. >楽しさをはじめとした人間の感情は無限→だからムゲンには無限の可能性がある!
      と強調したいんですかね。

      そうですね。もしくは「人と人の感情の触れ合いによって内面に変化が生じる(今回の科学ショーなど)→感情こそが人間の無限の可能性の源である」という裏付けあたりが考えられると思います。
      どっちにしても偉人アイコンとの関連性はわかりません。偉人に感情の重要性を教えられるならわかるんですけど、今回はグリムも感心させられる側だったんですよね。偉人に感情を教えてパワーを引き出せなんて設定じゃ意味がわかりませんし… これじゃ偉人じゃなくて異人です。
      まぁ、今回は毛利さんが担当だったので毛利さんが話の骨子を理解してなかっただけという線もあり得ます。シリーズ構成の担当回でないと作品のテーマが伝わってこないことは珍しくありません。私はとりあえず様子見するつもりです。

      >タケルが「仲間がいれば」と言うのは、ムゲンの感情が仲間7人からもたらされたからなんでしょうね~。

      普通だったらそう考えるのが自然でしょうね。
      ゴーストの場合、7つどころか「喜怒哀楽」の範囲ですら誰が何に該当するのか想像もつきませんが。仮にあてはめるとすると、今回の「楽しさ」はアカリということなんでしょうかね? 「科学ショーが楽しかったから科学者になる夢を持てた」という以上にはアカリと楽しさの関わりがわかりませんが。

      >炎のガンマイザ―はムゲンが完全に倒したはずなのに、再登場しても特に驚かれてなかったような…。

      驚いていませんでしたね。怪人が復活することやジャベルの復活などの事例がいくつかありましたから、タケルたちがガンマイザーが再生してもおかしくないと思っていても不思議はないのかもしれません。
      ガンマイザーの戦闘体に関してはそもそもどういう仕組なのかわかっていないので考えようがないですね。今回の偽物の件といい、まだまだ謎が多いです。

      >ムゲンは感情を力に変えてるはずなのに、何の熱さも感じられないのはまずいですね。

      考えようによっては成立しなくもないとは思います。
      ヒーローが「代弁者」であるならば、ことさら感情的になる必要はありません。必殺仕事人みたいに淡々と正義をなすヒーロー路線もあり得るでしょう。
      タケルがそういうキャラなのかはかなり疑問ですが。父親がタケルに託した使命は「偉人の心をつなぐこと」なのでタケルが主体になって動かないと果たせないと思います。普段は感情的だけど戦闘になると冷淡というのは落差が激しくて理解しづらいキャラクターです。アクションの方向性が物語を理解した上でのものなのか疑問があります。

      >体を光の粒子に変換することもできたんでしたっけ。こちらは汎用性の割にCG代のかかりそうな能力で、なんで予算が目減りしてる今出したのか謎です。

      実質初戦闘だったので、ただのご祝儀だと私は思っています。
      基本フォームの空中浮遊と同じく、そのうち使わなくなるでしょう。よくあることです。

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